日刊せみなりーBLOG

粘り強さとは…

更新日:2013/08/15

あれは何年位前だったろうか、
父が亡くなって一二年がたった頃だった。

雪解けの時期で、会社に入る道は、
タイヤ跡が溝になり歩きにくくなっていたが、

そこに、車椅子の車輪がはまり、
動けなくなった老夫婦と出くわした事があった。

結構な深さの溝になっていたので、
車椅子が傾き、ご主人は車椅子から落ちそうで、

奥様が一生懸命持ち上げようとしていたけれど、
ご主人はがっちりした感じの方で、

車椅子は、びくともしなかった。
私は、亡くなった父が脳梗塞だった事もあり、

『お手伝いしますね』
思わず言った。

思いのほか、車椅子は重くて、
時間がかかったが、どうにか上げることが出来た。

奥様は『ありがとうございます。』
と、小さく言って、二人はマンションに入って行った。

(ちょっと、車椅子散歩には時期的に早いのではないかしら)
と思ったが、ご夫婦が一生懸命だったので、言わなかった。

その後、余りお二人を見かけることはなかったが、
今日、しばらくぶりにお会いした。

ただし、
ご主人が乗っていたのは車椅子ではなかった。

初めて見る乗り物だった。
車椅子の前部にもう一つのペダル付き車輪があり、

そのペダルをこいで前に進む。
不自由な左手を固定するアームもあった。

『おはようございます。』ご主人が言った。
『おはようございます。』私も返した。

ご主人の声は弱かったけれど、
はっきり聞こえた。

不思議なことに、
このご夫婦は若くなっていた。

(あれ、あの時のご夫婦じゃあないのかしら)
と思ったけれど、

でも二人は、
あの時と同じマンションの入り口で、

車椅子に乗り換え、
マンションに入って行った。

ご主人がその不思議な乗り物から立ち上がる時は、
少し不安定だったけれど、

自力で車椅子に移動していた。

春先のガタガタ道でも車椅子散歩を諦めず、
頑張っていたご夫婦は、

数年後、自分でこいで動かせる車椅子に乗り、
足を鍛えながら、人の手を借りずに移動できるようになっていた。

あの時は、
言葉さえ出なかったご主人が、

挨拶ができるようになっていた。

私は、15年の看護婦生活でも、
その後の人生でも、

ここまで持続的に、
自分からリハビリを続ける人を見たことがなかった。

特に男性は、
不自由な身体になったことを人に知られるのを嫌がり、

外に出ない。
なのに、このご夫婦は、

何年も何年もリハビリを続け、
車椅子散歩を続け、

新しい乗り物で、
自分の力で散歩ができるまでになった。

どんな時でも前を向き、
諦めない生き方の見本のような方達だ。

どんな人生を歩まれた方なのだろうか、
お二人を訪ねたい衝動にかられた。

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