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『わたしの歳時記』 ~五月編~

更新日:2007/02/09

つらつら思うに、北海道の5月に、夏日が到来する現象は25年ほど前からではないだろうか。気象台に問い合わせるほど深刻に考えているわけでもないが、「地球温暖化」、「紫外線防止対策」「札幌上空ブラックホール」などと聞き慣れない言葉におびえたものだが、今やすっかり慣らされて、「リラ冷え」までの一か月、この「夏日」を満喫する。
昨日迄雪景色であった藻岩山に、残雪をう紛う程こぶしの花が咲き競う。
所々にピンクの一団があり、それが山桜であることははっきりと確認できる。
こぶしの白さの中に。それとは違った味わいのある白は、白木蓮。
藻岩山の裾野のわが家からも、はっきりと見分けがつく。視力が衰えていないと自己主張したいわけではない。
「終の棲み家」と決めたこの川沿地区、ことのほか藻岩山の恩恵が大きい。
日本海からの風を押し止めてくれるらしく、降雨雪量も少ない。
気象現象には疎いが、空気の清涼感が高いと感じるのは私だけではない。
視界が明確なのはそのせいだと思う。この山の姿を見ながら暮らしてはや30年になろうとしているが、今年の気象はどこかいつもとは違うようだ。
少しばかりの庭に植えてあるつつじ、しやくなげ、かえで、桜はおろか、グランドカバーの蔓日々草、チューリップ、ハーブに至る迄花の数、葉の色付き、開花期間が短いと感ずる。札幌のシンボル、ライラックもその色付きが例年より淡く見える。
どうしたことだろうか。決して忙しい日々を過ごしているわけではない。
雪解けと共に木々が芽吹き、庭に色増す札幌の五月。目に映る若草色と競い合う紫の花ばな。これが私の五月の歳時記なのだが今年はことのほか味気ない。
21世紀初の五月、地球温暖化が私の歳時記を塗り替え様としているので無ければ良いのだが。

「兜と鯉幟」

俳句の歳時記には「五月晴れ」「端午の節句」「粽」「子供の日」などなど、季語は多いが、わが家は女系家族。ここ数十年、兜人形や鯉幟からは遠ざかっていた。
わが家のたった一人の男の子である兄と私は10才違い。サハリンで暮らしていた時代は鎧兜の人形が飾られていた記憶はある。しかし、私が敗戦を迎えた時は10才だから、兄は二十歳。もう、武者人形、鎧兜、鯉幟がにぎにぎしく飾られることは無かった。
とはいっても、大きな鯉幟だけは父の手で飾られていた記憶は鮮明にある。
兄に続く子供6人がすべて女の子とあれば、父の五月の節句はせめて鯉幟に託したっかたのかもしれない。
札幌に移り棲んでからは、公宅住まいが続き、やっとこの地に自宅を構えて初めて兄が鯉幟を立てた。しかし、この終の棲みかに誕生した子供は鯉幟に縁がなかった。せめて孫がと期待したであろうに、これまた縁がない。
庭の片隅に設けた矢車付きの竿も、いつしか取りはずされてしまった。
兄にとって待望の男の子が「ひ孫」として誕生したが、すでに古稀をはるかに越え待望の「兜飾り」を準備したが、ひな祭りの華やかさはない。
5月5日はすでに「子供の日」。ゴールデンウイークの一日でしかない。
兄の心情を察し「兜飾り」を取り出し飾りつけたが、女系家族のわが家。どこか落ち着きが悪い。
民俗学辞典によれば、五月は一年の中で田植えと関連した重要な月と考えられており、この日を「女の家」と呼んだことが近松の「女殺し油地獄」に見えるとある。今でも、愛知、岐阜など中部日本や四国の一部に「女の家」「女の夜」という言葉で残っているという。神奈川でもこの日、菖浦や餅草を家のなげしに挿す事を「女の屋根を葺く」と言うとか。五月が季節の替わり目に当たる物忌みの月、男が祭りに出払った後、女ばかりで家にこもっていた習俗の名残り。武者人形は神送りの神の形代。五月幟の類は神を招く招ぎ代の変化か忌みこもっている家の印。これが起源だとある。 いずれにしろその起源は判明しないが、農業とかかわりある事は理解できる。
祭政一致、すべての政が神事であった時に遡る事には間違いないようだ。
鯉の滝登りの勢いに、立身出世を託し今日を迎えたのだろう。
6 月の信州・安曇野を散策した事がある。田んぼのおたまじゃくしとたわむれる土地の子供と、のどかな時間を過ごした一人旅。この時、鯉幟があちこちにあり、しまい忘れとも思えず、たずねてみた。「この辺りは、旧暦です」と返された答に、農事との係わりをみたが、今様「五月の節句」は男の子の節句ではなかったようだ。三月の節句、五月の節句、いずれもが、一年二十四節気の中で、農事と関連していたもののようだ。
農業の衰退、セーフガードが叫ばれる今日、21世紀と農業を、農業と自然環境を見つめ直さなければならないぎりぎりのところに来ていると思う。 ちなみに中国の子供の日は、六月一日。「児童節」(アルトンジエ)というが、農暦を主体に設定している事が伺える。
五月「私の歳時記」は、やはり「木々と草花の芽吹きの観察」になるようだ。
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