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『わたしの歳時記』 ~師走篇~

更新日:2007/02/09

今年1年、歳時記を編んでみた。
1年がこんなに早いとは驚きだ。いよいよ新春を迎える準備。これが世間一般の共通した歳時記。私も特別なことはない。ただ少し違うとすれば、神主を父親に持つ古神道の家で育ったから、人様よりこだわりが少々激しいかもしれない。

<中国の師走>

かつて北京に留学したとき、中国語で「過年」と言う年の過ごし方の習慣についての授業があった。
日本語を話さない教授、中国語がおぼつかない生徒の間ではあったが、そこはアジアの仲間、基層文化が幸いしたか面白いほど会話が弾んだ。
教授の話によれば、暮れの過ごし方は数え唄のように遊び言葉として子供達に伝えるとか。
12 月24日は大掃除、25日は豆腐を作り、26日は羊を解体し、27日は鶏をつぶす(鶏がお金に変わる時代)、28日は麺を捏ね、29日は饅頭を蒸す。30日は聞きそびれたが、大晦日は年越しの餃子を家族みんなで作り、餡の中に小銭をしのばせ、家族そろって食卓を囲む。その時、この小銭入りを口にしたものは「福年を迎えることが出来る」とか。
日本の話を紹介する学生は、新潟、広島、東京、北海道の四地区だったが、老学生とあって、両親の出身地が反映してか、「年越しそば」にいたるまで習慣が違う。
北京には○○横丁と呼ばれる元朝時代の「胡同」という家並みがあり、この胡同の出入り口の両側に貼られる朱や真紅の紙聯。右と左が対、そこに書かれた言葉も対になったおめでたい言葉。これが書けるということは、それなりの教養がなければならないが、胡同にはこれに応じる人がいて、あちこちの家から頼まれ、大忙しとなるのだとか。
今や、高層住宅建設に沸く北京市内では、胡同が消えたこともあってか、紙聯を見るのは難しくなったというが、農村やマンションの戸口で夏の風に紙片がはためいている様を見ることがある。どの字も王義士ばりの見事な筆跡。はがすには忍びないのか、はたまた気にしないのか。この辺りが中国らしい。
家族同居の四合院が消え、同業者の居住地「胡同」も消えた今。人々が北京や上海に集まり、一人っ子政策で家族が小型化し始めたと同時に、人情も消えてしまったと嘆く教授。日本の下町が消え、「人情」が消えた同じように。
5人の日本の老学生と中国の教授。日本語と中国語が飛び交い、何時にも増して賑やかな授業となった。
中国も日本も消えていくのは、年越しの習慣だけでないところに、一抹の寂しさがある。
普段の生活の中で、気づかぬまま消えているものが多いのだろう。
ある時、韓国の若者が、「韓国の経済の立ち遅れは儒教にある」と嘆いていたと言う事を聞いた。
中国であれ日本であれ韓国であれ、地球規模の世界市場の中で失いつつあるものが他国より多いのかもしれない。
「個」の尊重が叫ばれる今、国の文化の個性も尊重、承継されたいものだ。

<我が家に残したいもの>

我が家の年越しの準備の習慣も、両親が顕在だった頃は、いろいろ約束事があった。
今は兄がなんとかこれを受け継いでいるが、女系家族の宿命、いずれ消えてしまうのかもしれない。せめて、何か残しておきたいと思うのも、年のせいかも知れない。
自慢じゃないが記憶力には全く自信がない私としては、父や母が暮れの準備の中でぽつぽつ話して呉れたことくらいは、断片的にならざるを得ないだろうが、書き留めておきたいものだ。
その一つ、神棚の飾りつけ、正月用品の買い物は29日には行わない。
たぶん「9」が「苦」につながるからだと思われるが、25歳で独立生計を確立して以来ずっとこれは守って来た。今年もまた守るだろうが、何かと気ぜわしい暮れの1日、「苦」につながるとは言え、何もせずにボーッとしているのは難しいから、カーテンなどの洗濯日に充ててきた。毎日日曜のような今も29日は洗濯日。そろそろボーッとすることに慣れたいものなのだが。
そのせいで30日は夜遅くまでおおわらわ。神棚の掃除、御符札の取り替え、鏡餅飾り、注連縄飾り、繭玉飾り、お年玉の袋詰め。
新年にかかわることはすべてこの一日に終わらせる。
31日は、早めにさっと掃除を済ませ、年越しそばの準備をし、入浴。新しいパジャマに着替え、ゆっくりと年越しの時間をすごす。テレビを見ながらこの一年を振り返り、この年の0時に書いた一年の抱負に照らし、締めくくりの日記をしたためる。
これらの時間を確保するため、12月にはいると、1ヵ月の計画表を作る。
年賀状の準備、特に、中国への年賀状のポストカードの入手には、御所車、歌舞伎役者、桜、富士山、相撲など日本的といわれるカードをそろえるのが大変。
中国からは早々とクリスマスカードが届く。
大掃除も普段手抜きをしているだけに、大事になる。
巷ではクリスマスもあり、宗教に関係なくこの月の行事の一つとなる。甥や姪の子供のプレゼントの買出し、ツリーの飾りつけと片付け。それらの日程をすべて書き込んだ計画表に照らし日々を進める。
このあたりが血液型Aのなせる業のようだ。
25 日が過ぎれば、新年の料理の献立、これはことのほか楽しい。元日から商店が開いている昨今ではあっても、正月早々財布の紐は解くものでないといわれて育ったこともあり、初詣以外にはお財布を手にしないから、何日間かの献立がいる。客人があれば親戚とはいえ、顔ぶれを思い浮かべ、好みに合わせあれこれ準備することになる。
この1ヵ月はアッという間に過ぎる。
今日から明日への移り変わりに過ぎないのにといつも思いつつも、大晦日と元日のこの瞬時に照準を合わせた動きから、逃れることの出来ない重みがあり、この瞬時ともいうべき「時」に何かを託す。
些細なこの習慣、たぶん命ある限り延々と続けるのだろう。が、せめて寝たきり老人にならないよう意識的な日々を心がける上では、この些細なことが大きな意味があるのかもしれないと思う。
こうして見ると、我が家に残すものとして書き留めるほどのものは無い様だが、一つ一つの自分の姿で、語っていくことなのかもしれない。
「師走」、「私の歳時記」として特筆するものは何も無い。が、このことに安堵すら覚えるのも面白い。
日本の、北の雪国に住む平凡な人間として、これほど「けじめ」を求めて過ごすことが出来る師走。
雪かきは大変と嘆きながらも、雪があってこそ絵になる師走の風景。
雪積む静かさの中で1年を締め括り、新雪の中で今日から明日へのときの移りを、新たなものとして迎える準備の一切が「師走」の私の歳時記のようだ。

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