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『わたしの歳時記』 ~神無月編~

更新日:2007/02/09

出雲にとっては「神有月」。日本中の八百万の神が出雲に集合。
新世紀を迎えた中で、何を詮議しているのだろうか。
伊勢詣でについで一度は訪れたい社。
生前の父は遠くサハリンから北海道を通過し出雲大社へ度々訪れている。
昭和初期、海峡を二つも越え、今じゃ懐かしい響きの夜行列車を利用しての旅。何を求めての旅だったのか、聞くことも出来ない今となっては、何か掴めるかも知れないと、出雲にかかわる本を読み漁る。
買い集めたこれらを読み上げたら出かけようと思いながら、いまだ実現できないでいる。
このもたつきの中で、今年も出雲詣ではお預けになったが、今世紀初の神謀りには大きな興味がある。
この世に人間が存在して以来、本当に平和だった時代はどれほどあったのだろうか。
人間のおろかさ、これをどう気付かせるか詮議してもらいたいものだ。
八百万の神にはアッラーの神はどのように映っているのだろう。
神の世界に国際交流はないのだろうか。
馬鹿げているとは思いながらも、現実から逃避したくなるような日々の神無月になってしまった様だ。
いま、「日本人はるかな旅」がNHKで放映されている。
私にとってもっとも興味のある課題。
「DNA」を取り扱う遺伝子学の驚異的な進歩から人類揺籃の地がアフリカであることが確定的となった。
20万年前、アフリカの大地で誕生したホモサピエンス。「知恵のある人」を意味するラテン語。
彼らこそ現代人と直接つながった「共通の祖先」。
ホモサピエンスが誕生したこの地に暮らし続けたネグロイドすなわちアフリカ人。アフリカを旅立ち西に向かったコーカソイドすなわちヨーロッパ人と、太陽の昇る方向を目指し長い旅路を続けたモンゴロイドすなわちアジア人。
このアジア人の仲間でもっとも長い旅路を歩んだアメリカ先住民。その後、ヨーロッパの侵略で21世紀のいま、ほとんど姿を消しているという。
偶然選択した旅路、定着した地域の環境で肌の色が確立したが、元は一つ。
北回路、南回路、陸路、海路でこの地に定住したものが、日本人の祖先。
現段階では原日本人に最も近いとされる縄文人。
彼らは自然の中で、自然とともに豊かな文化を持ち穏やかに暮らしていた様が、三内丸山遺跡からも窺い知ることが出来る。
日本の正史と位置づけられていた「古事記」「日本書紀」そして偽書とされる「古史古伝」。
そこに描かれる神々は縄文人のはず。
21世紀の子孫は、「地球規模」「グローバル」の真只中にいて、未だ争いから開放されないでいる。この愚かさを解消するために、この「神有月」の出雲で、世界の神々のサミットをアフリカで開くことを詮議してほしいものだ。

「私にとっての出雲」

学生時代、歴史が大の苦手であったが、青森の三内丸山遺跡以来、日本の歴史に大きな興味がわく。
東北王朝にスポットライトが当たる。
ときあたかも偽書といわれていた古文書を読み漁っていたこともあり、倭王朝以前に存在した東北の歴史は、偽書古文書と重なり、縄文にのめりこむ日々となる。日本列島の地図と歴史が塗り替えられていった世紀末。
20世紀と21世紀のハザマに生かされていることに、何度感謝したことか。
偽書も、「秀真伝」「竹内文書」「宮下文書」「津軽外三郡志」「契丹古伝」「ウエツフミ」、そして「風土記」「古事記」「日本書紀」と読み進んでいた。
母方の家系縁の地を訪れたとき、これら偽書や風土記が縄文と重なり、その根幹が「出雲」にあると閃いた。
1925 年、北海道余市町に生まれた藤原としえは、「抹殺された古代出雲王朝」著書のまえがきに、「国家と民族と個人の誇りと尊厳は虚偽と欺瞞の歴史からは生まれない。」「国が国書として認める歴史書は、その国の民族の根幹となり、精神の支柱となるようなものでなければならない」と書いている。「然り」。
縄文遺跡が次々と発掘されている今、改めて日本の歴史を、自らのルーツを探ってみたい。
私にとってその原点が、一つは出雲王朝であり、東北王朝なのだ。
いずれも「争い」を好まない神々の歴史、これを引き継ぎ語り継ぐためにも、いま少し偽書、古文書に親しみ、確信を携えて出雲入りをしたいと思う。
来年の10月「神有月」の出雲、そこにはきっと穏やかな人々のつながりは、かくあるべしと言う神々の声が満ち満ちているだろうと思う。
戦火が広がったこの月、「私の歳時記~神無月」出雲に集まった神々の声を聴く月となりそうだ。
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