補償セミナリーライブラリBLOG

つれづれなるままに~本と私~

更新日:2007/06/04

私の本棚には、他人の気を引くような本は無い。
長い間に買い貯めたものだが、書棚のスペースには限りがあり、一定のものは処分せざるを得なくなる。
若い時は自分の一部を抹殺するように思えてなかなか処分出来なかったが、年の功が後押しをして呉れるのか、手放せるようになった。
とは言え、古書扱い出来るような物でもなく、カルチャーセンターや、スーパーマーケットの本棚にそっと置いてくる。
それでも気がかりで、時折覗いてみるが届け先では結構活躍しているらしく、ホットする。
もともと小説はあまり好まないし、好きな作家がハッキリしている。
だから小説本の数はそう邪魔に思うほどではないし、手放す対象にする必要もない。
特に小説を買っていたころは、給料の少ない若い時でもあり、文庫版になってから手に入れていた事もあってスペースを気にするほどでもない。
当時、給料日、期末手当支給日に集金に来るという書店があり、店主が新書案内で職場に来たりすると、当時としては珍しい全集ものに、ついつい手が出たりしたものだ。
戦後10年、書籍出版の状況もさることながら、まだまだ贅沢品だった。
私と本の関係は、どういうわけか、自分の所有物でなければ読めないという煩わしい関係にある。だから、図書館には足が向かない。未だに本の借り方が解らないし、解ろうともしない。年金生活者としては、はなはだ厄介な性格を持ってしまったようだ。
こんな私の本棚に、昭和22年10月1日更訂第一刷発行の「徒然草新講」(佐野保太郎著)定価参百円、昭和22年10月20日再版発行「蜻蛉日記講義」(喜多義勇)定価三百五十円が、古色燦然として鎮座している。
父の遺品として私の手元にある宝物。これだけはどんなことが有っても手放すことは出来ないと思うが、時折この本棚の前で、私がこの世を去ったときこの本はどうなるのかなあと、声にすることがある。
そこに居合わせた者は、「これは私が貰う」「これは俺が貰う」「俺にやると書いておいてくれ」「駄目、早もの勝ち」「そのときになれば誰か彼かがもって行くよ」となにやら寂しい話になるが、たとえどうであれ引き取り手の無い本が確実にあり、しかもそのての数が最近とみに増えだしている。
50歳を過ぎた頃、ひょんな事から、古事記、日本書紀、津軽外三郡誌、秀真伝、契丹子伝、九鬼文書、竹内文書、富士宮下文書、ウエツフミにのめり出し、歴史はまったく苦手だったにもかかわらず、とにかく読み漁った。
その頃から札幌シルクロードの会に参加したこともあり、我が家の歴史・ルーツが「私のシルクロード」として追い求めることになり、ついにこれらの本は手放すことの出来ない私の財産になってしまった。
シルクロードにかかる書籍は、引き取り手はいるだろうが、世に言う「偽書」扱いされてきたこれらのものはどうなるのだろうか。
これこそ私の「財産」なのだが、残されたものにとっては、邪魔な存在であることは明らか。
私がこの世から消えたときは、「どうにでもして呉れ」と開き直れないところが、己の「遊行期」に現実感を重ねられていないことなのかも。
難しい。せめてこれらから得た我が家のルーツなるものを書きあげなければならない。
時間はまだたっぷりあるように思っているようだが大丈夫なのだろうか。
応えてくれるものは一人もいない。
「遊行期」これは重大な問題であるはずなのに実感が伴わない。
それが人間さ・・・・と、自ら応えておこう。

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