社長ブログ:時にふれてBLOG

善に見る

更新日:2021/11/01

今週11/1は、78ページ「善に見る」29回目です。Moさんに読み合わせと感想を頂きました。「前半部分は、その通りと思いました。現象を見ることは主観に左右されて、客観的に見ることは不可能です。後半は善か悪かの立場をもたらし、プラス思考で考えた方が良いと思いました。『善か悪の別な判断基準』で、稲盛さんは、そういう考え方なのかと思いました」という感想でした。私のコメントは

「どうせ主観に左右されるのであれば、ものごとを善に見ていく習慣をつけるべきだと私は考えます。否定的なものの見方は、自己の成長や問題の解決ももたらしませんが、次元の高い心に基準を求めた認識や判断は、必ず良き結果をもたらすはずだからです」と述べています。

ものの見方・考え方でお釈迦様のお話があり紹介します。一人の修行僧がお釈迦さまに質問しました。
「あるときは、すみ切った気持ちになり、学んだことも学んでいないこともわかることがあります。その逆に、学んだことなのに頭に浮かんでこないことがあります。いったいこれは、どういう理由なのでしょうか?」するとお釈迦さまは、こう答えました。

「ここに器に入った水があるとします。もしその水が赤とか青とかににごっていたら、あなたの顔は見えますか?」「いいえ、顔を映すことができないと思います」「それと同じで、人の心にもっともっとという欲の心があると、ものごとをありのままに見ることができなくなってしまうのです。

では、「その水が煮えたぎっていたとしたらどうでしょうか?」「やはり顔を映すことはできません」「それと同じで、心がいかりに満ちていると、ものごとをありのままに見ることができなくなってしまうのです。

さて、「水面が水草でおおわれていたらどうでしょうか?」「やはり顔を映すことはできません」「それと同じで、心が愚痴(ぐち)におおわれていると、ものごとをありのままに見ることができなくなってしまうのです」

この話の貪欲・怒り・嫉妬は煩悩の三悪のことです。そのような見方で物事を見ると誤ってしまうというお話です。

稲盛和夫さんは因果の法則の話しで、安岡正篤(まさひろ)さんの本『運命と立命』の中で、中国明代の袁了凡という人が書いた『陰隲録』の内容を紹介していて、「善きことを思い、善きことを行えば、運命はよき方向へ変わっていく」としています。この「善きことを思い」が、人間として正しいかどうか」です。つまり、●嘘をつかない●人に迷惑をかけない●正直であれ●欲張ってはならない●自分のことばかりを考えてはならないなど、親や教師から諭されたような哲学です。稲盛さんはこれらの哲学・生き方の規範を、経営の指針にすえたのです。

また東京の元塾生は、「次元の高い目的をもつ」を三つの視点から見ています。

  • 宇宙観  「宇宙は因果の法則で動いている」善きことを思い、善きことを
         する。
  • 人間観  「人間は無限の可能性を持っている」 思いは実現する。人とし
    て正しい思いを持つ。
  • 経営観  「経営には利他の心が必要である」全従業員の物心両面の幸福の
    実現という経営理念。

という同じようなフィロソフィー勉強会のネットの報告でした。

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