社長ブログ:時にふれてBLOG

きれいな心で描く

更新日:2022/03/07

今週は43回目、112ページ「きれいな心で描く」です。Ooさんにお願いしています。みんなの前で読んでもらい、感想をいただきました。

Ooさん…「先週社長に言われて、5~6回読みました。これはどういうことかと考えました。わが社の仕事に置き換えると、成果品は発注者の用地交渉に使いたいもので、公共事業のために客館的な正確なものが必要です。当社の場合、きれいな心でとは、納期を守り、正確で正当な成果品をつくることと感じました。」との感想でした。私のコメントは

「強い情熱は成功をもたらしますが、それが私利私欲に端を発したものならばその成功は長続きしません」「人間が私利私欲を完全に払拭することは難しいのです。せめて自分のためではなく、集団のためにということに目的を置き換えるべきです」と書かれています。

当社の経営理念は、仕事である補償コンサルタント業の社会福祉の増進に貢献するとの意義と物心両面の社員の幸せを求めて働きがいのある会社を創り、納税・災害復興支援などで社会に貢献するとしています。

「きれいな心」とはなにか、稲盛さんが説かれる本質はそんな甘いものではありません。こんな例え話をされています。「餓鬼道に落ちた悪人共と同じテーブルを囲んでいる。そこに天から饅頭がバサッと落ちてくる。その饅頭に向かって一斉に悪人達の手が伸びる。一旦手にしても横から奪い取られる。それどころか口に入れようとした瞬間にも横取りしようと手が伸びてくる。私も負けじと手を出すが理性で考えていたのでは遅れてしまう。ほとんど本能レベルまで速くしないと負けてしまう。私の後ろには饅頭を待っている多くの社員とその家族がいるのだ。自分のことしか考えていない連中に負けるわけにはいかない」。この場合は会社の仲間というわけですが、さらにその家族、下請けの人たち、客様というように広げていくこと、利他の範囲を大きくしていくことが大切なのです。争奪戦に勝たなければその集団は結局、衰退没落して、利他どころの話ではなくなってしまいます。きれいな心とは仁王様のような強さも併せ持つものでなければならないのです。

仏教で言われる「因果応報」の法則です。因果応報とは「善いことも悪いことも自分に返ってくる」という意味の言葉 因果応報(いんがおうほう)は「自分の行動の善悪に応じてその報いが自分に返ってくる」という意味の仏教用語です。今、善き事を想い、善き事を行う。その結果が未来の自分と言うものなんでしょうね。

以前、中国の明代の 袁了凡が著した書籍の『 陰騭録』の話しを安岡正篤さんが優しく訳した話をしました。その話しは、「人の運命が初めから定まっておるものなら、何故に釈迦や孔子が苦労したのか。偉大なる人が学問修養したのは、それによって人物を創ることができるからだ。運命というのは変えていくもの、創造していくものだ。」とのことです。

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