社長ブログ:時にふれてBLOG

大善をもって導く

更新日:2022/08/01

今週は第61回目、152ページ「大善をもって導く」です。Ooさんに読み合わせと感想をお願いしていました。その感想は『仕事あってのもので、その仕事は目的があってやることです。発注者から受注し、積算等を行い、成果品として納めます。それは社会通念上のもので、一般常識の範疇であり、説得できるもの、会計検査と収用委員会にも耐えられるものでなければなりません。いろいろな観点の中で取り纏めます。その反面で、あらゆる発想を持ち、基準・規程を逆に使うこともできるという面白い仕事であります。収用委員会でも、補償できるものは最大限行うことです』という仕事への情熱があふれたものでした。

私のコメントは、「『小善は大悪に似たり』と言います。つまり、短絡的によかれとすることが、本人にとって本当にいいことなのかどうか、リーダーは、部下への真の愛情を見極めなければなりません」と書かれています。

「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり」は仏教用語だとされています。その後、武田信玄が口にしたなどの逸話もあったりしますが、この言葉が良く知られるようになったのは、京セラ創業者の稲盛和夫氏が京セラフィロソフィーで語られたことが大きいと言えるでしょう。』との書き込みがありました。

稲盛氏の話では以下のような例えがある。会社で部下を厳しく指導することは一見非情にも見えるが実は「大善」なのだ。また、経営が厳しい状況で安易に給与・賞与などをアップすることは、一見思いやりがあるように思える(小善)が、それで会社が潰れて社員を路頭に迷わすようでは何の意味もない(大悪)とのことです。

同じような言葉に、老子の「授人以魚(ショーレンイーイュー)不如授人以漁(プールショウレンイーイュー)」があり読み方について 、つまり読み下し文のことだと思うのですが、次の通り。 「人に授けるに魚(さかな)を以ってするは、人に授けるに漁(りょう)を以ってするに如(し)かず」。 ただ、この言葉は『老子』には無い言葉です。つまり『老子』が出典ではありません。意味は「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが釣りを教えれば一生食べていける」といったことのようですが、お腹を空かした人が居た場合、魚を与える事は一時的な空腹を満たすためには簡単な方法だけど、それでは、その人は空腹になる度に誰かを頼り、魚をもらい続けなければならないし、もらい続ける癖がついてしまう。どちらが本当にその人のためになるのか?と言うお話です。

つづけて経営の話しもします。優しい情愛に満ちた人であると同時に、すさまじい厳しさを兼ね備えた人でなかったら、社長なんて器は務まりはしません。どんな小さい会社でもそうです。つまり、同一人物が両極端の考え方をあわせもち、そしてそれが同時に正常に機能できる能力を持った人でなければ経営者は務まらないと思います。ただ優しいばかりの社長では、経営になりませんし、厳しい一方の人では誰もついてきやしません。大事なことは人に対する、「愛」や「思いやり」や「情」、と同時に「厳しさ」や「非情さ」も併せ持つこと。そして、その相反することを何の躊躇(ちゅうちょ)もなく、同時に行うことができる人を名経営者といい、偉大な教育者という。その両方が綾織りのように出てくる人でなければ、経営者なんてできやしません。

私は、この「両端併せ持つ」には、ほど遠いですが、人間性を磨いてこうなりたいと思います。

追記、会社を辞めていった頭の良い二人の幹部は、『社長はただ善い人です』と同じように言っていました。小善を行っていました。

 

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