日刊せみなりーBLOG
仙台物語その①
更新日:2011/06/01
仙台の建物調査の助っ人に、
カッコマンH君が3週間行く事が急に決まった。
(決まったのではなく、むつみさんが決めてきたのでしょう!)
と、カッコマンH君に言われそうだが・・
そう・・決めてきたのだ・・予定外だったが・・。
『初めにマンションの管理組合の総会に出席してください。
現状がわかると思います。』
同業者建物調査会社クレアの日下さんは、
メタボ脱出H常務と私を多賀城市のマンションに案内してくれた。
『あれ?どうしてガードレールが倒れているの?』
『ここまで津波が来たんです。1.5メートルくらいですが・・
マンションの一階は浸水し、皆さん最上階のお宅に逃げ込んだそうです。』
マンションの裏手には、
今だ片付けられていない流された自動車が横倒しになって置かれていた。
そのマンションは居住者が自主組合を作って管理しており、
昭和53年に建築された旧耐震の建物だった。
参加されていた老婦人は、
『私はもう80歳なんですよ、ずっと住んでいます。
若いときは管理組合の仕事を随分しましたよ』
被災し住居に不安材料が一杯の総会なのに、
そこに集まったみなさんは和やかで優しさに溢れていた。
『被災状況診断は一次診断は会社の健診程度と思ってください。
既に様々な症状が出ていますので、
身体で言えば精密検査が必ず必要になってくると思います。
それらの診断は二次診断になります。』
クレアの日下さんの話は人間の健康に例え、分かりやすかった。
これから総会でその診断を受けるか否かを決めると言う。
大変な状況下でも笑顔を忘れないみなさんに頭が下がる思いだった。
『まず自分の命や家族の安否の心配をし、
次に食料や暖房の心配、そしてガソリンの調達・・
それらがやっと今落ち着いて壊れた家をどうするか、
考える事が出来るようになった。
仙台市は被災状況で各家に補助金が幾ら出るかはっきりさせたので、
やっと具体的に家の改修を考える事が出来るようになりました。
石巻は役所も被災したので補助金の手配も進まず大変なのです。』
テレビで見て想像していたのと、実際は微妙に違っていた。
泣いてなんかいられない・・そんな力強さを感じた。
さあ・・頑張って出来る支援を早急にする!
で・・カッコマンH君が3週間行く事を決めてきたのです!
5日、カッコマンH君は仙台に船出します。