日刊せみなりーBLOG

わが社の物知り博士・・

更新日:2012/07/26

うちの会社のいなせなSさんは、
北広島市役所に長く務めた1級建築士さんだ。

趣味か仕事か、分からないほど、
北海道と、北海道の建物の歴史に詳しい。

そんないなせなSさんが言った。
『むつみさん、駅逓所の歴史を教えてくれと、

●●町から言われまして・・』

ん?『えき?なんですか?』
『“えきていしょ”です。』

『えきていしょ?なんですか?
どんな字を書くのですか?』

全く聞いた事がなかった。

『昔、汽車も車もなかった時代、
旅人が一日で歩く距離位の間にあった宿泊所です。』

ほう~そんなものがあったのか?

全道を出張するが、
いつも、

(昔の人たちは野宿だったのかしら?)
と、疑問だったのだ。

内陸まで移動するのは、
大変だったに違いない。

熊だって、沢山いただろう・・
『その駅逓所には国から補助金が出ていたらしいです。

駅逓所の周りには、
その建物の所有者が食べていく農地や、

馬用の牧場もあったそうです。』
ふ~ん・・・

誰かが歩き始めた北海道の原野、
そこが道になり、一定間隔で駅逓所を置いた。

開拓者や荷を運ぶ人たちが、
(今日はここまでだな・・)とか言って泊まったのだろうか?

『現在でも、13個建物が残っています。
鉄道が通ると廃止していったそうですが、

駅逓所を経営されていた方々は、
それぞれ町の名士になっているようです。』

そうか~
人の面倒見が良くて、財力がある人じゃあないと、

出来ない仕事なのね~

それにしても、
この北海道をここまでにするには、

多くの人たちの努力があったんだ・・
と、実感した。

57年間、北海道で生まれ育ち、
北海道は大好きだけど・・

何にも知らない・・私だった。

『クラーク先生が、
ボーイズビィアンビシャスと言ったのは、

島松の駅逓所の前と言うのは、分かっています。』
そうなんだ~

建物と、
その時々の人の生活は切り離せないから面白い!

みなさん、駅逓所をご存知でしたか?

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