日刊せみなりーBLOG
義母の血…
更新日:2012/10/29
週初めの今日は、
留萌出張で始まった。
運転免許を持たない私は、
当たり前に、バス…
朝8時前に札幌駅に着いた。
地下街は通勤者で溢れていたが、
ふと見ると、
柱の影に人が蹲っている。
丁度、落としたコンタクトを探す感じだ。
声をかけようかと近くにいくと、
若い青年だった。
コンタクトではなく、メガネが床に転がり、
青年は頭を抑えていた。
多分、思いっきり柱にぶつかったらしい。
大丈夫かしらと思ったが、
何か、青年から声をかけないで欲しいという空気を感じ、
遠くから見ていたが、
通りがかりの男性が『大丈夫?』と声をかけた。
『大丈夫です』青年は力なく答えていた。
こんな時、(そんなに気になるなら、声をかけたらいいのに)
といつも思い、そして、
義母なら必ず声をかけただろうなと思った。
義母は優しい人だった。
そして、人が困っているのではと思うと、
必ず声をかけた。
それは、いつでも、どこでも、誰にでもだった。
正義感も強かったから、
間違っていると思うと、
見過ごすことは出来ないタチでもあった。
時にその行動は周囲に波紋をよんだが、
常に自分のためではなく、
人のための行動であり、
また、素直に真っ直ぐだったから、
私は、そんな義母が大好きだった。
そして、その義母の性格は長女がしっかり受け継いだ。
長女が中学生の時、
障害を持った同級生がいじめに会い、
長女は彼をかばったが、
いじめが止まらないため、
『お母さん、先生に言って!』と言われたが、
私がグズグズしていると、
長女は痺れを切らして、自分で職員室に乗り込んだ。
それも、動いてくれそうな先生を選んで…
私はそれを、
その障害を持った子のお母さんから聞いた。
『本当にありがとう、Mちゃんに教わりました。
障害があるからイジメられても仕方が無いと思っていたけど、
言っていいんだって』
泣きながら話してくれたそのお母さんの話を聞きながら、
自分が恥ずかしくなった。
義母が亡くなって7年、長女は33歳だが、
困っていそうな人に、
すぐ声をかけられなかった今朝のような日は、
私は必ず、
義母似の長女がイジメに立ち向かったエピソードを思い出す。