日刊せみなりーBLOG

小樽ノスタルジー

更新日:2012/11/27

小樽に行ってきた。
南小樽駅に降り立つと、

みぞれの大吹雪、
風で傘もさせず、五分で人間氷柱のようになった。

さすが、日本海の街である。

近頃、私が、
頻繁に小樽に行くのは、

NPO法人小樽民家再生プロジェクトを、
立ち上げたからだ。

今度、
その話を小樽ロータリークラブで、

させて頂く。
で、そもそも論で小樽について考えた。

私が、
初めて小樽の街を意識したのは、

33歳くらいの時だった。
後輩の親御さんが亡くなられ、

そのお葬式に行った。
小樽の坂の中に建つ、

古い町内会館の二階で葬儀は行なわれた。
後輩の寂しさ、悲しさが伝わってきた。

通夜が終わり、外に出た時、
(なんていい街なのだろうか、)と、思った。

ただ、坂があり、
古いモルタルの家々があるだけなのに、

何でこんなに心が、
引かれるのか不思議だった。

それから、
たまにお客様を小樽にお連れしても、

(小樽の本当の良さは運河ではない、
この坂と家々がが織りなす風景なのだ。)

と、思っていた。
この一年、小樽の方々に色々なことを教わった。

小樽の歴史は特に面白く、
なぜ、小樽には普通に古い家が存在し、

築50年は当たり前、
100年の家にも普通に暮らしている。

小樽学を編集さてている石井さんが、
教えて下さった。

『中野さん、
小樽は世界の商業都市だった時代があり、

世界の豆相場は小樽で決まったんですよ。
大金持ちが街に溢れ、

庶民もお金があった。
だから、良い家を建てた。

でも、時代の波に乗り遅れ、
小樽は取り残された。

小樽の人はね、
建て替えたくてもそのお金がなかったんですよ。

ただ、家に手をかけるお金はあったんです。』
小樽の盛衰の歴史が、

小樽の街、そのものだった。
でも、小樽はちゃんと前を向いて生きている。

ちょっと、偏屈だけど…

私は、小樽の風景に引かれるのは、
小樽の盛衰の歴史が、

人間の生きている姿そのもの、
だからなのではないかと思った。

笑も涙も、すべてを包む街、
だから、大人の人が小樽には惹かれる。

私はそれが、
小樽ノスタルジーなのでないかと思っている。

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