日刊せみなりーBLOG
小樽ノスタルジーその3
更新日:2013/01/31
近頃・・・
自分のことって・・わからないものね、
の、心境になることが多い。
例えば、
小樽への思い・・・。
私が初めて小樽を意識したのは、
後輩の親御さんの通夜の夜、
小樽の坂の中腹に建つ古びた町内会館で行われた通夜が終了し、
暗い外に出た時、
(なんていい街なんだろう・・)
と思った。
ただ、
坂があり街灯に照らされたグレーのモルタルの家があるだけなのに・・
時は流れ、
一昨年、私は突如(小樽の古い家の外観はそのままで、
内部を快適に変えた家に移住者を呼ぼう!)と思いついた。
理屈ぬきに、絶対成功する!と思った。
この理屈抜きというのが曲者だが、
その思いは強く仲間を集めてNPOまで作ってしまった。
さて、色々動き出すと、
【その思い】とは何かが重要になってくる。
小樽を愛して止まない人は多く、
小樽関係のNPOは60を超えるというから、
いわゆる、
【樽キチ】は数しれない。
歴史的な建物の保存運動も活発だ。
では、私は建物の保存をしたいのか?
いや、違う。
小樽に移住者を呼ぶことが目的なのか?
いや……………違う。
それは、方法と結果なのだ。
しばし、自分の思いと向き合う日が続いた。
小樽について歴史も学んだ。
築100年の家を守る方々にもお会いした。
そして、気がついたのだ。
小樽の街、そのものが、
まるで人生のような哀愁を持っているのだと…
それは、建物に象徴的に表れている。
それは、地形と自然に表れている。
これは、感覚的なものだが、
住むのに重要なのは、自分の感性に合う場所かだから、
小樽が好きな人は必ず、
『小樽からあの古い家並みが消えたら小樽ではなくなる』
というのだ。
そして、地形…北に海、南に山を背負う半すり鉢の狭い空間。
それが、
明るいばかりでは疲れてしまう人間の心を落ち着ける。
だから、私は、
【見かけはそのままで、内部が快適に変わった空間に移住者を呼ぼう】
と思ったのだ。
私と同じ感覚の人は日本中にいるはず。
移住者は必然の結果だ。
この話を小樽に移住して来られた合気道のS大先生に話した時、
『中野さんは深い所で小樽を愛しておられるのですね』
と、言われたが、
『それは違うと思います。
樽キチさんたちは、
寝ても覚めても小樽ですが私はそんなことはないですよ』
と答えた。
S大先生は、首を振り、『中野さんの小樽への愛は深いです。』
再び、仰った。
そうなのかな、そうなのかも知れない。
じゃないと、こんなにお金も時間もエネルギーも使わないか…
初めて自分の気持ちが分かった気がした。
もしかしたら、
夫のこともクールに同志くらいに思っていたが、
私はすごく愛しているのかも知れない。
自分のことって……
わからないものだ。