日刊せみなりーBLOG
転勤・・
更新日:2013/04/01
本日は4月1日、新年度開始日!
なので、午後から神宮参拝をした。
会社に帰ってからは、
年度方針会議、『今日はあまり電話は来ないでしょ』
わが社の顧客は、お役所だから、
転勤初日の1日は電話がないと踏んだのだが・・
『ラガーマンMさん、電話です~』
と、転勤したはずの方から電話があった。
シャイなO常務曰く、
『そんなに全員、1日から次の勤務地でGO!とはならないよ』
確かに、北海道中を転勤するわけだから・・
と納得だ。
補償セミナリーの創業者である私の父も、
北海道職員であった。
ただ、転勤は本庁、石狩支庁、胆振支庁、
そして、石狩支庁だから、
転居は、
胆振支庁の時だけだった。
それは、私が17歳の時、
『お前はばあちゃんと札幌で暮らせ、お母さんと俺で室蘭に行く』
今の実家を新築中の話だ。
家を作る計画が進み出したら、転勤となった次第。
『室蘭は何処に住むの?』
『増市というところにある官舎だよ』
実家を新築するまで住んでいたのも、
南23条にあった官舎、ぼっとん便所の家だった。
『室蘭の官舎は、水洗トイレだよ』
『すごい~』
私は、
室蘭の官舎に遊びに行くのも楽しみになった。
父は胆振支庁に在職中は、
よく、釣りに行っていた。
ちか釣りは特に大好きで、
その釣ったちかを母が素揚げにする。
『胆振管内は釣りの宝庫だ』
父親は、仕事も熱心だったが、
遊びも熱心、
それも一人ではなくいつも部下や仲間と一緒だった。
娘心にも、
部下に慕われている父が嬉しかった。
そんな、
私の中にある【転勤】は、
楽しい思い出だけど、
転勤に付き合う家族は大変だろうと思う。
今は単身赴任も多いけど、
昔、PTAでご一緒した自衛隊員の奥さんは、
『転勤貧乏ってあるのよ、
目に見えないお金が山ほど掛かるのよ~』
と、
言っていたのを思い出した。
『また、新しい担当者と仕事になるね』
当社にとっては、お客様、お役所の皆さんも、
家族を持ち、
一緒に転勤したり、単身赴任だったり・・
生活をされているのだな~
と、ふと思った。
47歳で胆振支庁に転勤した、
父の姿と、私の中で重なり合った。