日刊せみなりーBLOG

ちょこっと、感動………

更新日:2013/11/11

私は、
昔昔、看護婦さんだった。

ちょこっと、
仕事を休もうと思ったのに、

いつの間にか、
手伝いだった今の仕事が本職になった。

でも、
15年働いた看護婦時代のことは、

ふと思い出す機会が多い。

今日も、銀行の帰り道、
自転車に乗っているおじさんを見て、

心は急に看護婦になった。
そのおじさんは、

何と、酸素ボンベを背負って、
自転車に乗っていた。

今から、三十年ほど前から、
在宅酸素療法が生まれた。

日常生活をする上で酸素吸入が必要な方々が、
自宅で酸素吸入ができるようになったのだ。

看護婦さんはお医者さんと自宅を訪問し、
酸素ボンベの使い方を指導したりしていた。

そのうち、
お出かけ用の小さなサイズのボンベも開発された。

退院した患者さんが、酸素ボンベを押して、
『看護婦さん!』と嬉しそうに病院を訪ねてくれると、

普通に生活ができるようになった事が、
自分のことのように嬉しかった。

その後、看護婦を辞めた後も、
街角で携帯用の酸素ボンベを持ちながら歩く方を見かけると、

ついつい、
大丈夫かなと、見てしまう私だったけど、

今日の、自転車に乗って、
颯爽と走っているおじさんを見かけた時は、

ど肝を抜かれた。

でも、よく考えたら、
歩くより楽なのかもしれない。

よくみると、
時々漕ぐのをやめていた。

すごいなあ、
身体に不具合があっても、

出来るだけ普通に暮らせるように、
考えられた在宅酸素療法は、

ここまで、市民権を得て、
人々を支えているんだあ。

確か、在宅酸素療法を保険適応にするための、
患者さん達の闘いもあったように思う。

それを支えていた呼吸器科のお医者さんも思い出した。

時代は、前を向いた分だけ、
確実に進歩をするんだな。

大昔、
酸素は病院のベットの上だけのものだったけれど、

日常生活で使えたら、
元気に暮らせる人が増える!

と、気が付いた医療従事者と患者さんが考えた、
【酸素ボンベを持って生活する】事は、

今や完全に市民権を得たのだ。

看護婦さんを辞めて、20年………
ちょっとだけ、

看護婦さんに戻りたくなった一瞬だった。

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