日刊せみなりーBLOG
震災から3年・・・
更新日:2014/03/11
『今日で震災から丸三年がたちました。
先日行った仙台は随分復興が進んでいましたが、
これからも、
少しでもお役に立てる仕事があれば、
お手伝いしたいと思います』
朝会で、カッコマンH君が言った。
カッコマンH君は、
3年前の6月、社命を受け、
愛妻Rちゃんと愛娘Sちゃんを置いて、
一人仙台に旅立った。
民間の建物検査のお仲間Kさんたちを、
支援するためだった。
震災で、
多くのマンションが被災した仙台で、
Kさんたちはその建物検査に追われていたが、
当初私たちは、
話が具体化したら、
それに合わせて検査の援助に伺う予定にしていた。
しかし、当時のメタボ脱出H常務も数回仙台を訪れていたが、
中々話は進まなかった。
そして、
5月末、『むつみさんも一緒に行く事になっていますよ』
いつもの如く、
メタボ脱出H常務らしく、
よくわからないうちに、
私も仙台に行く事になった。
恐る恐る訪れた仙台では、
一見普通に生活が行われているように見えたが、
訪れたマンションの裏には、
津波で流された車が重なり、
駐車場の金網には海草やゴミが引っかかっていた。
Kさんたちは、
マンションの住民のみなさんに一生懸命、
マンションの今後について説明をしていた。
でも、正直言って、その時はまだ、
私の中で【震災】の実感はなかった。
その後、メタボ脱出H常務と私はKさんたちの事務所に向かった。
起業者を支援する為に作られた素敵なビルには、
震災の傷跡は感じなかった。
私たちは、
Kさんたちの事務所に入った。
『散らかっていますが・・』Kさんが言った。
確かに、雑然としていた。
物が倒れたままと言う訳ではない。
だらしなさを感じるわけでもない。
ただ、
そこにKさんたちの強度の疲労感が見えた。
Kさんたちは、
震災直後の話を冗談を交えながら話していたが、
その笑顔が辛かった。
溢れるほどの仕事の依頼があるとの説明を聞きながら、
(人を出さないと、仕事は具体化しない)と感じた。
『KさんやKSさんがよければですが、
カッコマンHを出します。
どんな仕事のお手伝いもします。』
カッコマンH君にも、
モゴモゴN社長にも確認をしていなかった。
結局、6月に旅立ったカッコマンH君は、
長い長い支援旅になった。
私は今でも、
Kさんたちの事務所の、あの光景が忘れられない。