日刊せみなりーBLOG

ふと、思う…

更新日:2014/05/05

私は、
昭和30年生まれだ。

団塊の世代より、
ちょこっと後に産まれたお陰で、

ぎゅうぎゅう詰めのクラスではなかった。
でも、

日本の高度経済成長の真っ只中で育ったから、
今では当たり前の物、

冷蔵庫、洗濯機、テレビが、
家に初めて現れた感動を知っている。

料理好きの母と、新し物好きの父、
小学生の時、電気アイスクリーム器なるものも家にあった。

氷がやっとできる位の製氷機の中に、
その器械を入れる。

中には、牛乳と卵に砂糖。
コードがはみ出ていたから、

製氷機の中は、
さほど冷えなかったように思うけれど、

二時間くらい、ウイーンウイーンと器械は回り、
美味しいアイスが出来上がった。

洗濯機は、
ローラーの絞り機がついていた。

父親は、
さらし腹巻をキリッと締める人だったから、

そのローラーから縦に二つに折られたさらしが、
ニョロニョロと出てきているのを、

今でも、
はっきり思い出すことが出来る。

テレビの記憶は東京オリンピックからだ。

祖父母、叔母たちと両親姉の大所帯が、
小さなテレビの前に集まって、

みんなで見ていたが、
祖母はうたた寝をしていることが多かった。

電話が引かれたのは、
いつだったかしら?

学校から帰ると、
岡山生まれの母が、『大阪のおばちゃんと電話で話したよ』

と言って、泣いていた。
遠く離れた北海道に嫁ぎ、

滅多に会うことも出来なかった母にとって、
電話で声が聞こえ、話せたのは泣くほど嬉しいことだった。

その後も、
高度経済成長は、私たちの暮らしをどんどん豊かにした。

カラーテレビが普通になり、
電子レンジでチンする、は日本語になった。

『え?機械が図面を書くの?
機械が計算をするの?』

初めて、CADなるものを見た時はびっくりした。
『これからは、パソコンで図面を書く時代が来るんだよ』

ひええええ!

それを見ていたベテラン技術者Dさんは、
不快な顔をしていた。

Dさんの図面は芸術的だったから。

そして、
あっという間に、

機械化が進んだ。
全くの機械音痴の私だが、

嫌だと言えず、
パソコンに向かう。

メールが当たり前になり、
遠く離れて暮らす娘たちとも、

頻回にやり取りをするようになった。
そして、

三月末からは、
LINEを娘たちと交わし始めた。

あのスタンプがいい!
微妙な感情が、絵文字になって表現される。

が、
LINEは流れることに気が付いた。

しっかりしたおしゃべりではない。
気楽に行こうが、使い方か。

小さな官舎の茶の間で、
小さなテレビの前に家族が集まり、

うたた寝している祖母のいびきを、
買ったばかりのテープレコーダーに取って、

『おばあちゃん、寝ていたって!』
みんなで、笑ったことが懐かしい。

私たちは、
誰かが発明してくれた文明の利器の、

恩恵世代なんだろうおな……

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