日刊せみなりーBLOG

大好きな四人の親へ

更新日:2014/07/06

アラカンになり、
少し大人になったかと我を振り返り、

あら、ダメね。まるで子供…
と、反省し…

再び、歩き出す昨今だが、
つくづくと、我が親世代は偉大なりと思う。

うちの父は樺太からの引揚者だ。
樺太では、黒住教の神社の家柄だったが、

引き揚げ後は、公務員になった。
引き揚げ時、お墓の骨を持ち帰ることは出来なかったと思うが、

実家のお墓には、
幼くして亡くなった父の妹の名前も刻まれている。

父は、
戦争時や引き揚げ時の苦労話はしなかったが、

祖母が時折、
悲しい話を教えてくれた。

母は、岡山の出身、
父に騙されて北海道にきたそうな。

お陰で、私や姉が生れ、
ひ孫は、9人、まだ増殖しそうだ。

母は、
広島で被曝して亡くなった姉、甥たちの話をしてくれたが、

私は悲しすぎて、
その話を娘たちには出来ないでいる。

義母と義父は、
釧路方面の出身だ。

義母は、アレキナイ、義父は厚岸出身。
こちらも恋愛結婚で、

『戦争から無事に戻ったら、
結婚して欲しい』と言って戦地に赴いたらしい。

義母は、
『父さんは、通信兵だったから、大変なところには行かなかったんだって。

父さんが、辛い思いをしなかっただけで、良かった』
と言っていたが、義母の死後、

義父から、戦地での胸が潰れそうな話を聞いた。
『母さんが悲しむ話は教えなかった。』

妻を心から愛していた義父は、
戦地の話は自分の心に封印したようだ。

因みに義父は、
会社での愚痴も一度も言ったことがなかったそうだ。

私には、
計り知れない苦労を乗り越えてきた四人の両親は、

私に自らの行動を持って、
人の生き方を教えてくれた。

母からは、
岡山から一人で嫁いでくる秘めた行動力と理性、潔さ。

父からは、
人の情を持って、元気に明るく生き抜く力。

義母からは、
愛は分けるものと言う優しさ。

義父からは、
優しさと心の奥に秘めた信念を。

どうしても、
追いつけない四人の親だけれど、

戦後の日本を一所懸命生きた親たちを真似て、
私たちを愛してくれたように、

子どもや孫や、
周りの人たちをしっかり愛して、

働こう………

何故だか、
近頃、とみに、そう思う。

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