日刊せみなりーBLOG
これが、越えられないんですよ。
更新日:2014/08/03
夫ことモゴモゴN社長も、
私も、うちの会社は中途採用だ。
父が会社を起こした時、
それぞれに既に働いていたから。
そんな私たち夫婦には、
社員を育てる時、考え方の共通点がある。
それは、
『上司によって、社員は無能にもなり、優秀にもなる。』
というものだ。
これは、自分たちが若い頃、同じような経験をしていたからだった。
私は、
【でもしか看護婦】だった。
だから、学生時代、
学業成績は良かったが、実習はダメ。
看護婦になってからも、
仕事以外では燃えたが、仕事はイマイチで、
担当婦長さんからは、
『元気が良いだけで、取り柄のない看護婦』
と、評されていた。
それが、病棟が変わり、婦長と仲間が変わった時から、
私は豹変した。
もちろん、良い意味で。
ちょうど、
出産して命の重みを実感できた事もあるが、
それだけではないと思う。
婦長を中心に、
【患者から学ぶ看護】【患者の立場になって看護する】
が、徹底されていた病棟だった。
先輩看護婦さんたちは、
よく学び、実践していた。
私は、看護婦になって二年目、
内科病棟は初めてで、右往左往しながらも先輩たちの後を追った。
けして、
意地悪な先輩たちではなかったが、
事、看護に対しては厳しかった。
そして、彼女たちは自分に対しても厳しい人たちだった。
その姿は、格好良かった。
自分も早く、ああなりたい、と思った。
その病棟の婦長さんは、
どちらかというと無口だった。
たまに、
シャープな冗談を言うけれど、
後は、私たちを信じて見ていた。
その婦長さんは、他の婦長さんのように、
総婦長室で実務をせずに、
多くの時間を詰め所で過ごした。
しかし、
よほどでない限り、スタッフの仕事はしなかった。
そして、それに対して、
スタッフの誰も不満を持っていなかった。
それは、多分、
スタッフは、婦長職の彼女に対し、
絶大な信頼を寄せていたからだと思う。
その婦長さんは、毎日欠かさず病棟回りをして、
婦長として、患者さんを把握していた。
そして、必要なことのみスタッフに伝えてくれた。
常に、
自分のスタッフを愛し信頼し、守ってくれた。
彼女の元で育った看護婦たちは、
今でも強い仲間意識で結ばれている。
元気なだけで取り柄のない看護婦は、
病棟が変わっただけで、
『拾い物をした』と言われる看護婦になり、
看護婦を辞め、仕事が変わった今でも、
あの時の経験が基礎になって生きている。
中々、越えられない婦長さんであり、
あの時の病棟である。