日刊せみなりーBLOG

運動音痴だけれど…

更新日:2015/01/10

毎日、溶けては雪が降り、
ツルツルの道路だ。

会社の横に住んでいる90歳の母に、
『危ないから出ない方がいいよ』

と言ったら、
『そうだね。』と答えた後、続けて言った。

『でも、秋に転んだ時は、怪我一つしなくって、
鍼灸の先生にびっくりされたわ。

身が軽いって!
若い頃は、これでも走ると早かったのよ』

そおですか、でも、気をつけてね。
と心の中で言い、

じゃあ、
私の運動音痴は父親譲りかしらと思ったが、

父もゴルフなんぞもしていたから、
私ほどの運動音痴ではなかったらしい。

私と母との会話を聞いていた三女が、
『お母さんはパン食い競争でビリになったんだよね』

と思い出したように言った。
『ビリと言うより、ずっとパンに食いつけなくて、

次の子たちが走ってきたのに、
まだ食べられなくて、ホント、悲しかったわ』

私が答えると、
母は、『見ている方も泣けてきた』と言った。

私が幼稚園の時である。
その後、小学校に上がっても、

運動音痴はよくなるどころか、
拍車がかかり、結局、運動会のない中学に行った。

普通に体育ができる人にはわからないだろうが、
何をやっても人並みに運動ができないということは、

かなりのコンプレックスになった。
もちろん、我が人生で、

跳び箱、逆上がりは一度も出来たことはないし、
自転車にも乗れない。

だから、
結婚するなら運動神経の良い人と決めていた。

生まれてくる子どもを意識して。
その選択は成功し、

モゴモゴN社長こと夫は、
敏捷でほとんどのスポーツをそこそここなす。

娘たちは、私の計画通りスポーツ万能、
三女はインターハイにも出場した。

勉強は大したできない三人娘だが、
スポーツができることが嬉しくて、

跳び箱も飛べて、逆上がりもできて、
自転車にも乗れるなんて素晴らしい!

と、いつも自慢だった。

そして、
その敏捷な青年だったモゴモゴN社長が率いるセミナリーは、

体育会系だ。
その社風は、運動音痴の私も好きだ。

たとえ、
社内運動会が催されることがあっても、

絶対参加はしないけれど、
理屈より行動、ガッツで乗り切るみんなが好き、

また、会社でスキーに行きたいね!
と言いあっているけれど、

私はもちろん、温泉組。

いつの間にか、
あんなにコンプレックスだった運動音痴が気にならなくなった。

でもね、
やっぱり一緒にスキーができる方が楽しいかな、

例年になく、冬場に忙しい今年、
真面目にニセコ一泊ゲレンデ温泉の旅を夢見ている。

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