日刊せみなりーBLOG
中々大変ですよ…
更新日:2015/01/12
本日は子守番となった。
会社のみんなは仕事組が多いから、
私もご苦労様!と行きたかったけれど、
三女も仕事で、『預けるところがないの、お願い!』
となった。
婿さんも仕事…
私が仕事に行かないのが、
一番影響が少ないようなので、
子どもと遊べない私が子守、
5番孫も仕方なくアンパンマン漬けになっている。
私が子育て真っ最中の時も、
実家に、世話になった。
夫も私も休日に仕事の時は、
実家に預けた。
看護婦仲間には、羨ましがられた。
近くに親がいない人は、
見てくれる人を探していたようだ。
私は、母や父に甘えていたが、
父も起業したばかり、母も手伝っていたし、
その当時、
起業した知り合いの若者たちのご飯作りも母はしていたから、
忙しかったと思うが、
いつも何も言わずに、私の娘たちの世話をしてくれた。
両親とも今の私たちより少し年上くらいだった。
父は53歳で起業したが、
それからしばらくして、この内装業の若者たちも起業した。
姉の知り合いだったが、
まだ、本当に若い子たちだったので、
最初、父が無給で社長になった。
職人だから朝が早い。
若者たちは実家の近くに住み、
母は、その若者たちのために、
朝食用のおにぎりと昼食のお弁当を作り、
玄関に用意をして置く。
夜は夜で夕食の用意だ。
若者は三人だったけれど、大変だったと思う。
母は料理の手を抜かない人だから、
納豆だって、『ひきわり納豆なんてまずいわ』
と、自分で刻んで出していた。
美味しい三食だったと思う。
父の仕事の手伝いも忙しくなり、
夜なべもしていた。
と言うより、
自分から次々と仕事を覚え、
どんどん忙しくなって行く感じだった。
それでも、休日出勤や残業、
娘たちが発熱した時など、
嫌な顔を一つせず、預かってくれた。
だからというわけでもないけれど、
今度は私が娘の手伝いを少しはしないと、
と思い孫を預かったのだが。
中々、
母のように自分の大変さをお首にも出さずにいることは出来ず、
ブツブツ言っている。
ママも仕事があるのよ!なんて。
女性が働き続けるには、
まだ、回りの支えが必要な世の中のようだ。