日刊せみなりーBLOG

室蘭は…

更新日:2015/02/06

今日は一人で室蘭にやって来た。
もちろん、仕事。

私は室蘭には縁がある。
幼稚園時代から室蘭にはよく来ていた。

私を可愛がってくれた叔母夫婦が、
常磐町の官舎に住んでいたのだ。

坂を登った左側に官舎はあったように思う。
平屋の広い官舎だった。

同じ官舎に双子の素敵なお兄ちゃんがいて、
幼心に胸がワクワクした。

高校生になった時、
当時北海道職員だった父が胆振支庁に転勤になった。

今度の官舎は増市町にあった。
私は、祖母と札幌の自宅にいたが、

ちょくちょく室蘭には行っていた。
そして、高校を卒業すると市立室蘭高等看護学校に入学した。

一年後、父は石狩支庁に転勤になったため、
私の自由で解放的な学生時代が始まった。

室工大のサークルに入り、
楽しかったなあ~の学生時代だった。

その頃の室蘭は、
高度経済成長のど真ん中、日鉱、新日鉄、函館ドック、楢崎造船と、

それはそれは賑わい、
中央町のアーケードから続く飲屋街は、

人の肩がぶつかり合うほどだった。
クラスメートのお父さんの殆んどは、

日鉱、新日鉄で、
『今日は夜勤なの』の言葉で三交代勤務だと知った。

その友人たちは広い一軒家に住み、裕福そうだった。
私の工員のイメージは変わった。

卒業すると私は札幌で看護婦となり、
室蘭とは疎遠になったが、

補償セミナリーに入り、
20年ぶりで室蘭を訪れた時は感動したが、

その変貌ぶりにも驚かされた。
それから何度も室蘭に来るようになったが、

何時訪れても、
昔が思い出され胸がキュンとする。

中央町のアーケードがなくなって普通の通りになっても、
私の中では、

中央町は、
やっぱりアーケード通りのままである。

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