日刊せみなりーBLOG

創業者である父のこと…

更新日:2015/02/09

昨日、二歳の孫が、
ロシア土産の木彫りの熊で遊ぶ姿を見て、

急に父のことを思い出した。

補償セミナリーの創設者初代社長は、
中川寿束と言い、私の父だ。

北海道職員を早期退職して、当社を起業した。
父は樺太の出身で、

実家は黒住教の協会だったので、
敗戦がなければ父は神主になる予定だったから、

公務員は想定外のことだったに違いない。
敗戦時、父の家族は父より一足先に引き揚げし、

父は兵隊に行っていたため、
少し抑留され遅れて引き揚げてきたそうだ。

樺太時代の話や引き揚げ時の話は時折聞いたが、
祖父母も父も辛い話は余りせず、

楽しかった話をよくしていた。
父はロシア語を少し話せたが、

親露派で、
ロシアからのお客様も来ていた。

叔母の中川絃穂とサハリンにビザなし訪問をしたこともあった。

父が若い時に好んで聞いていたのは、
ロシア民謡だったし、

ロシア料理も好きで、
ボルシチやウォッカを食べに有名なロシア料理店にも行っていた。

昔はそんな父の姿を、
不思議とも思わなかったけれど、

近頃、
父はなんと前向きな人だったのかと思うようになった。

父の父は樺太に渡り布教に務め、
家族を持ち、町議にもなったらしいが、

敗戦のあとの引き揚げで全てを失った。
父は、抑留で苦労もしただろうし、

神主になる予定も狂ってしまった。
でも、ロシアを恨む言葉も聞いたこともない。

戦争は絶対反対派だったが。

そして、公務員として元気に生き、
53歳で起業した。

後ろを向かない人だったのだなあと、
私は今頃になって、

父から生き方を学んでいる。

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