日刊せみなりーBLOG

我が社屋は25歳!

更新日:2015/05/23

昨日は、会社の自主参加焼肉会、
珍しく女性は私だけで、

男性社員たちの、
激しく、赤裸々に語る会になった。

3つのコンロは赤く燃え、
最後のお肉が、なくなりかけた頃、

ほとんど酔っ払いおじさんの、
ラガーマンM君が言った。

『そう言えば、お客様のKさんたちが、
うちの会社を見に来たらしいですよ。』

うちの会社のお客様は、お役所なので、
滅多に会社を訪れることはない。

『え?!会社に見えたの?』

私が言うと、
『違います。とんでんで食事をすることがあったらしく、

その後、セミナリーってこの辺じゃなかった?
となって、路地のところまでいらしたそうです。』

なんと、ありがたい。
会社に上がって頂きたかった。

と私が言うと、
『ダメです!もっと、大きなビルディングになってからです!』

と、
ラガーマンM君が言った。

私にとっては、
この木造二階建て、一階車庫の、

住宅風社屋は、
仕事がしやすく好きなのだが、

社員たちにとっては、
街中ビルディングが格好良く見えるようだ。

うちの会社は、
今年、38期目に突入したが、

この社屋が建ったのは、
25年前だ。

社屋が建つまでは、
創業者である父の家の一部を事務所にしていた。

何せ、大きな家なので、
玄関脇のふた部屋を使い、

その当時は十分な広さだった。
しかし、仕事も増え、

『よし!社屋をつくろう!』
父が決断し、

その実家の後ろに今の社屋を建てた。

敷地は100坪、
私有道路もあるので、

結構な広さだった。
一階は車庫、二階を事務所にした。

父は、北海道職員を早期退職し、
53歳で起業した。

中々のバンカラだったから、
公務員より社長の方があっていたのかも知れない。

でも、
社屋を持つには10年以上かかったことになる。

多分だが、
父は、バンカラだけれど、

妙に堅実なところがあったのだろう。
事務所で見栄を張るより、

会社の資金を蓄えることを、
重要視したのだと思う。

その頃は、
バブル真っ盛り、

鉄筋コンクリートの社屋を建てるお仲間も多かったが、
父は、

木造二階建てにした。

その後、事務所は手狭になり、
増築をした。

『トイレも、もう一個作ろう。
女性と俺ようだ。』

父が言い、
増築部分に一坪のトイレも出来た。

今も、そのトイレは女性用、
ただし、『貸してください!』の男性使用もありだが。

25年たった社屋は、
年相応に部品交換が必要で、

『二階のトイレの換気扇、
うるさくてかなわない。

どうにかして下さい!』
と言われていたが、

そのトイレを使った事のない私は、
無視を決めていた、しかし、遂に、

『動かない…』で、
昨日、換気扇を交換した。

『わあ、音がしない!』
無邪気に喜ぶ男性社員たちを見て、

私は、少し反省した。
もっと早くに取り替えれば良かった。

会社と社員たちを見守ってきた、
木造二階建ての社屋、

お手入れをするから、
もう少し頑張っておくれ、

【見栄より堅実】の父の教えは、
受け継ぎたいと思う。

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