日刊せみなりーBLOG

不思議な街、小樽へ。

更新日:2015/06/27

本日は、小樽の日だ。
三年前に、

『小樽の古い建物を見かけはそのままに、活用し、
再生し、建物も小樽の街並みも、

活かし続ける活動をしよう!』
と仲間を募り、NPOを作った。

今日は、その活動日、
新しい仲間も一緒に、海陽亭を見学する。

うちの会社のお仕事は、
街づくりのお手伝いだが、

ちょっと違う視点から、
街づくりのお手伝いができたらなあ、

と思ったのだ。

昔、父がまだ、
北海道職員だった頃、

『俺は、運河を残す方がいいと思う。』
と言っていたが、

そのとき、初めて父から、
小樽の運河を残す街づくりにするか、

埋める街づくりにするか、
意見が二分している事を知った。

その後、運河は半分だけ残され、
小樽は、北海道を代表する観光地になったが、

今、再び、街の存続をかけて、
【古い建物を残す】取り組みが、

色々始まっている。
このNPOは、その一助になればと、

20代から60代の、
昔の青年と今の青年が、

不思議な連帯感で結ばれて、
活動をしている。

本日は、
小樽商科大学の学生さんとも、

連携が進みそうで、
言い出しっぺの私としては、

嬉しい限りなのだ。

私は、小樽の有名な建物より、
普通にある古い民家が好きだ。

だから、
有名どころの勉強は遅れているが、

本日見学する海陽亭は、
その昔、料亭としても使われ、

石原裕次郎さんのお父様も通われ、
裕次郎さんにとっても、

大切な場所だったと聞いた。
先日、初めて、玄関まで伺ったが、

小樽の中心部に、
こんな木々に囲まれた静寂な場所があったのか、

と驚かされた。
また、その敷地や建物から溢れる、

近寄りがたい【気】を感じ、
思わず、後ずさりした。

私は、生粋の道産子だけれど、
北海道の歴史は、知らないのだなと、

思った。

札幌が、
ずっと一番の街だと思ってきたけれど、

小樽の隣が札幌と言われた時代があり、
今で言う、一流の商社マンたちは、

みな、
小樽で豪遊していたという。

庶民も潤い、
小樽の家々は、作りが頑丈なのだと聞いた。

さてさて、
そろそろ小樽に向かう列車が到着する。

列車といっても、
エアポートだから、電車だけれど、

気分は、
汽車に乗って小樽に行こう!

街中なのに、
深い木々に囲まれた海陽亭、

しばし、
裕次郎さんとタイムスリップだ。

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