日刊せみなりーBLOG

実家のある街…

更新日:2015/07/16

久しぶりに、釧路に行った。
釧路には、夫の両親が眠っている。

だから、
『悪いんだけれど、お線香をあげる時間を私にちょうだい。』

と、
釧路の相棒、ラガーマンM君にお願いし、

お客様との打ち合わせ後、
お寺に寄ってもらった。

義父母は、
海が見える納骨堂に眠っている。

大きなお寺の大きな納骨堂だ。
久しぶりのお参りだった。

『駐車場は、上の方なの』
車は、坂を登った。

斜面に建っているお寺さんは、
駐車場から入ると、

長い階段を登らずに済む。
はずだったが、『あら!駐車場に増築中だわ!』

大きな納骨堂の横に、
鉄骨が組み上げられていた。

結局、下から長い階段を登り、
納骨堂に入った。

本堂の前で手を合わせ、
実家の納骨堂を探す。

何度も来ているが、
毎回、ここだったよね、と不安になるほど、

大きな納骨堂だ。
義父母は、海が見える場所に、

二人仲良く並んで待っていてくれた。
いつも、肩を寄せ合って私たちを迎えてくれていた両親は、

骨入れの中で、
『おかえり』と同じように言ってくれた。

元気な時は、
二人で釧路駅まで必ず迎えに来てくれて、

改札の向こうから、
私たちに手を振ってくれた両親だ。

車で行った時は、
実家の窓から顔を見せてくれた。

会うと、
ホッとさせてくれる両親で、

私は、お舅姑という感じはなく、
どちらかというと、

大好きな大先輩に会いに行く印象だった。
だから、お参りに行っても、

両親にだけは愚痴をこぼす。
安心して泣ける場所だった。

いつも受け止めてくれる二人だった。
でも、今は、

『大丈夫だよ、
芳も私も、みんなに支えられて元気に頑張っているよ!』

明るく報告出来ることが嬉しかった。
いつまでも、心配をかけてごめんね、

と言いつつ、
お線香を消した。

子どもは、
いつになっても親に甘えてしまうのだなあ、

と、反省しつつ、
納骨堂の窓から釧路の海を見た。

増築される建物で、
海が見えなくなるのではと心配だったが、

大丈夫なようだ。
晴天の釧路の海は、キラキラしていた。

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