日刊せみなりーBLOG
本日は…
更新日:2015/08/14
今日は、父の命日だ。
でも、気が付いたのは、
会社に来てからだった。
しまった。
朝、写真への挨拶も、
いつもの通りだった。
きっと、呆れているだろう。
『 まったく、お前だったら』
と父の声が聞こえてきそうだ。
父は、樺太からの引揚者で、
戦争がなければ、
神主になっていただろうに、
終戦後、
北海道職員になった。
公務員にしては、
波乱万丈の人生だったようだが、
53歳の時、この会社を起こした。
私は、小さい時の父の記憶はあまりないが、
小学生高学年くらいから、
大事に育てられている、と言う感じがあった。
私の結婚後は、
起業して大変だったろうに、
保育園の送り迎えも手伝ってくれた。
元気だったが、
当社の会長職を退いた後、
病気がちになった。
亡くなった時は、
父を愛する親族たちが、
ほとんど集まっていた。
あんなに多くの人に見送られて逝く人を、
看護婦時代でも知らないくらいだった。
と、そこまでは覚えているのだが、
不思議に、
葬儀の記憶がない。
父の遺言で、
家族葬にした。
親族家族と社員だけの葬儀だった。
といっても、かなりの人数になったが。
唯一、記憶にあるのが、
通夜の席で、
カッコマンH君が、愛娘Sちゃんを抱き、
『初めて連れてきました。Sです。』
と、父の亡骸に会わせた事だ。
もっといっぱい、
色々なことがあったと思うが、
覚えていない。
これは、父の葬儀だけでなく、
義父母の時も同じだ。
親がいなくなるというのは、
想像以上のショックだった。
なんとなく、
親はずっと生きていてくれるような気が、
していたのかも知れない。
今日も会社の留守番をしているが、
あの日は、
留守番を決めることも忘れ、
父が病院から戻ってきたバタバタの最中に、
会社の電話をとったことを思い出した。
実家には、会社の直通電話が引かれてあった。
本当に、
そんなことばかり覚えている。
さあ、会社の留守番が終わったら、
実家に花を届けようと思ったが、
大きな神棚の前に、
すでに多くの花があるのを思い出した。
やっぱり、お酒にしようかな。
そして、今日は酒盛りだ。
父は、
みんなが集まってワイワイするのを喜んだから。
命日とお盆が重なって、
父が、会社に現れたような気がしている。