日刊せみなりーBLOG

10年祭に思う。

更新日:2016/08/07

今日は
亡き父の10年祭だった。

父は
樺太からの引揚者、

戦争がなけれな
神主になるはずが、

引き揚げ後、
北海道庁に勤め

公務員になった。
52歳で早期退職し、

53歳で、当社を起業するまで、
普通は祝詞をあげなかったけれど、

祖父が亡くなってからは
自宅で神棚に向かって

祝詞をあげていた。
上手いか下手かはよくわからないが

叔母たちは、
『兄さんの祝詞は上手い』と言っていた。

そう言えば、
会社で北海道神宮のお参りをするようになり、

様々な神主さんの祝詞を聞くと
それぞれに言い回しが違い、

個性があるようだ。
叔母たちにとっては

祖父や父の祝詞が
一番だと感じていたのかも

知れない。

そんな我が家で
私がいつも不思議だったことがあった。

それは、

神主の家だったのに、
実家では、

七五三、100日参りの時など、
神社にお参りするだけで

祈祷をして貰った事がない。
先日、姉や母と、

『むつみがひどいゴンボを掘ったのは、
千歳飴を欲しいと泣いた時だった。

あれは、祈祷をして貰わないと
貰えないから。』

と言う話になった。
その時の私のゴンボ堀は

8ミリに収められている。
『でもさあ、草履ではなく、

こっぽりを買うお金があるなら
祈祷代くらい払えたろうにね。』

私が言うと姉が答えた。
『おじいちゃんもお父さんも、

自分が神主だったわけだから
玉ぐし料を出して、

他の神主さんに
祝詞をあげて貰うのは、

抵抗があったのではないかしら。』
なるほど…

全く、気が付かなかった。
いつも、

『祈祷代がかかるから』と言われ、
私の中では、

お金がないからか
と、単純に考えていたが、

堅実な公務員の給料とは言え、
8ミリカメラを買っていたのだから

祈祷代がなかったとは
考えにくい。

ならば、
姉の言うことが当たっているのだろう。

私は父の口から
神主になれなかった事への

愚痴を聞いたことがない。
いや、愚痴自体聞いた記憶があまりない。

波乱に満ちた父の生涯だったと思うが、
公務員から起業したのだから、

かなり、
前向きな人だったのだと、

思う。

神道では、
人は死ぬとみな、

【ご先祖様】になると考えるらしい。

私の父も私にとっては、
一番近いご先祖様だが

色々な思いを秘めながらも、
常に前を向く人だったのだと

改めて思った10年祭だった。

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