日刊せみなりーBLOG

そんなじだいもあーたねと♪

更新日:2017/02/04

今朝、
瀬棚から卵が届いた。

どのくらい前からだろう、
長女の大学の先輩が、

瀬棚町で
養鶏をされていることを知り、

取り寄せるようになった。
瀬棚の海風と、

畑の野菜で育った鶏から生まれる卵は、
臭みが全くなくて美味しかった。

そして、
楽しみは毎回入ってくる手書きのお便りだ。

家族のこと、ひよこの事、
農場の事、

そして瀬棚の事が綴られており、
なんだか、卵が身近になった気がする。

今朝のお手紙には、
娘さんが通っている小学校が、

3月で閉校するとあった。
確か、

在校生は、
お嬢さんが最後の一人だったと思う。

お便りには、
同じ小学校を卒業したという奥様が、

通学路の思い出話を書いておられた。
多分、

うちの娘より、
少し年上と思われる奥さんの通学路の思い出話は、

まるで私の時代のようだった。
通学路で、

グミやら何やら野生の果実を食べるというのは、
札幌育ちの私は経験がなかったが、

ハリマオウN社長こと夫にとっては、
普通の事のようだった。

私が、

グミやグスベリを
食べられる果実と知ったのは、

今の会社に入り、
調査をするようになってからだ。

地方のおうちには、
それらはたくさん成っていた。

ハリマオウN社長は、
『グスベリは美味くて、

取り合って食べたなあ。
今食べても、美味しくないんだろうが。』

と言っていたが、
残念ながら調査物を食べることはないから、

私は今でも、
グスベリもグミも味はわからない。

通学路の思い出といえば、
雪遊びもあるが、

よく釧路の義母が教えてくれた
雪遊びがある。

と言っても、
釧路の遊びではなく、

士別の遊びだ。
ハリマオウN社長は、

3歳から16歳まで、
士別の社宅で大きくなった。

すずらん印で知られる会社の社宅は、
一つの町のようで、

各長屋の回りには、
オンコの生垣が回され、

寒さが厳しい士別では、
降った雪がそのまま生垣に積もって凍り、

その上を雪が落ちる前に、
走り抜けたものが勝ち!になったと言う。

義母は、
『かおるは、すばしこかったから、

まずは、落ちなかったね。』
と誇らしく言った。

なるほど。。。。
と、話を聞いたときは、

納得したが。
時は流れ、

夫も私も還暦を超え、
今は、

よそのうちの、
生垣の上を走る子もなく、

夫は昔のすばしっこさが消え、
『やばい!滑って転んで腕を打った!』

となった。

瀬棚の卵屋さんのお便りも、
昔を懐かしむ言葉で終わっていたが、

どこかで、
野生のグスベリやグミ食べ、

生垣の雪の上を走り抜く時代を、
再現したいような気がした。

記事一覧