日刊せみなりーBLOG

ふるさと。。。。

更新日:2017/04/21

ふと、
しんみり、

思う朝。

ハリマオウN社長こと夫の故郷は、
釧路。だが、

夫が釧路で育ったのは、
高校生の半分くらいだ。

父親が、
すずらん印の砂糖屋さんで働いていたので、

3歳までは、
アレキナイと言う所で育ち、

そこから、
父親は士別に転勤になり、

夫は15歳まで、
士別で育った。

だから、
夫の子供の時の思い出は、

士別のはずだ。
義母が話してくれた夫の武勇伝も、

士別産のもので、
それはそれは面白い話で、

なんとなく、
私の中では、

夫の故郷は、
釧路ではなく、

士別ではないかと、
いつも思っていたのだが、

夫にとっての故郷は、
やっぱり、

1年半しか暮らしていない釧路のようだった。

夫の父親は、
士別から帯広に転勤し、

定年後、
居を釧路に構えた。

義父は厚岸の生まれだったが、
親類縁者に縁が薄い育ちだった。

釧路には、

義母の実家があり、
叔母叔父たちも、

みんな、
釧路にいた。

夫が湖陵高校に通っていたのは、
そのおじいちゃんの家からで、

同い年の従兄弟とつるんでは、
よく、学校をサボったと言っていた。

夫は、
独身の頃は、

お正月には毎年帰っていたが、
結婚した相手が看護婦で、

正月なしの勤務だったため、
しばらくは、

帰れなかったが、
妻が、同じ職場になった時から、

毎年、
1ー2回は、

家族で、
釧路に帰るようになった。

もち、その妻は私だ。

私や娘たちにとって、
釧路は、

義父母がいる楽しい場所だった。
そして、

お正月には必ず、
義母の兄弟姉妹が集まった。

義母の姉妹は、
みんな明るくて、

意思表示が率直、
義母曰く、

『丁々発止の姉妹』

まさに、
その話のテンポ、内容、

切り口、返し、
全てが、

丁々発止!
いやあ、お見事!

の一言につき、
私は、その話を聞いているのが、

楽しかった。
楽しい話とは、

リズミカルで聞いていても、
笑いが絶えない。

もちろん、

叔母たちは、
自分の生き方考え方が、

はっきりしており、
【曲げない強さ】があったが、

根が優しいから、
嫌味がなかった。

でも、
年月が過ぎ、

義父母も亡くなり、
叔父叔母たちも、

一人欠けと、
少なくなっていく。

その葬儀に行く度、
夫も私も、

寂しくなるが、
夫の、

【故郷は釧路】
の想いは、

強くなる気がしする。

故郷って、
きっと、

【長く育った場所】
と言う、くくりでは、

ないのだろうなあ、
と、

思った朝だった。

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