日刊せみなりーBLOG

母の日に思う。

更新日:2017/05/14

今日は、母の日。
義母は亡くなり、

私の母だけ。
なので、

アレンジメントフラワーを持って、
顔を見に行った。

暖かくなり
少し元気が戻ったようで、

声にも張りがあった。
帰り際、

珍しく、
『この頃、岡山に行きたいなあ、と思うの』

と、母が言った。
うちの母の実家は岡山で、

はるばる北海道まで嫁いできた。
元気がないときは、

『もう、無理だわ。
帰らなくてもいいわ』

と言っていたから、
帰れるような気がしてきた分だけ、

元気になったのだろう。

私は、
札幌生まれの札幌育ちで、

実家の近くに住み、
親から離れたことはない。

どうもこれは
とても幸せなことらしく、

親元を離れた友人が
『おむつ、それは一番の幸せだわ』

と、
言っていたっけ。

だから、
親元を遠く離れた母の気持ちを

心から理解するのは難しいけれど、
なんとなく、想像はつく。

先日も、
母親が京都から嫁いできたという友人が、

Facebookに、

『母と一緒に京都に行ってきました!』
と、写真をアップしていたが、

お母さんの
嬉しそうな気持ちが伝わってきた。

嫁いで何十年たっても、
自分のふるさとは、

帰りたい場所なのだと思う。

高校時代の友人たちも、
大学進学先が本州だった人は、

滋賀県、新潟県、東京都、
果ては、

ニューヨークまで色々な所に、
根を下ろしているが、

きっと、
ふるさとに帰りたいと

思うのだろうな。
と、思う。

それも自分が動けるうちは
行こう!と言う、

自分の意思で決められるけれど、
子どもたちが、

『心配だからついていくよ』
という年齢になると、

思うにまかせず、
余計に帰りたくなるのでは?

と思った。

母の言葉に、
『じゃあ、今年、一緒に行こうね!』

と言えれば良かったが、
整形的一病息災が、

今一つの私は、
『一緒にいけるように早く治すわ』

が、
精一杯だった。

母は、
思い出したように、

『そう言えばあんた、
背中、大丈夫なの?』

と言った。
それがさあ〜

と、
私は子供になって、

母に治りの悪さを話した。

92歳の母親に、
いつまでも甘えられる身に感謝。

そして、
恩返しをしないとね。

一緒に岡山に行けるといいなあ、
と、

真剣に思った母の日だった。

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