日刊せみなりーBLOG

父を思い。。

更新日:2017/07/01

近頃、
父親のことを思い出す。

父は、
39年と5日前に

当社を立ち上げた。
その頃、私は、

看護婦に明け暮れていたが、
父が溌剌としているのはわかった。

私は、
母親っこだったので、

小さい頃の父の思い出は、
びっくりするほど、

少ない。
初めてのしっかりした思い出は、

支笏湖のモーラップに
キャンプに連れて行って貰った時からだろうか。

三角テントを張り、
テントの周りは溝を掘る。

飯盒で米を炊き、
おかずは、なんだったかしら。

小学校の6年生くらいだった。
トイレもなくて、

草むらに穴を掘り
用を足したら埋める。

中々本格的なキャンプだった。
何年間か連れて行って貰ったが、

雨の時は雨で楽しかった。
三角テントは、

雨の時、
『触ったらだめだぞ。水が入る。』

何て事も教わった。
中学校に入り、

私は病気ですぐに休学した。
昔から、

口は達者だったが
体力はなかったようだ。

そんな私だったので、
北18条にあった私立中学まで

父は時々送ってくれて
『何かあったら、タクシーで帰って来い』

と言われ、
五百円紙幣を渡された。

私は定期券入れの中にそれを
大事にしまった。

時々、
『まだあるか?』

と聞いてくれた。
その当時の500円だから、

今の5000円以上だと思う。

看護学校は、
当時、父は、

胆振支庁管理課長だったので、
迷わず、

室蘭の看護学校に決めた。
それでも、

一年で、
父は石狩支庁管理課長に転勤になり、

私は、
自由人になったが、

仕送りも多分、
多い方だったのだろう。

アルバイトもせずに、
サークルと勉学(?)に勤しんだ。

夫を紹介した時も、
何も言わず、

ただただ、
ハリマオウN社長こと夫と

ウイスキーを空けていた。

私たちの結婚式は
会社の設立の6日後だったらしく、

結婚式では、
父は涙もなく、

姉の時はあんなに泣いたのにと
少々不満だったが、

起業直後で
そんな余裕もなかったのだろう。

その後、
夫は父の会社に入り、

父にとても可愛がって貰い、
父と私の間より、

父と夫との間の方が
近いようにさえ思えた。

忙しい中で
孫たちの面倒も見てくれて、

『とても若い時のお父さんからは
想像ができない』と、

母に言われていたが、
本当にだ。

私の中に、
小学校高学年になるまで

ほとんど父親との記憶はないが、
結婚相手を決める時、

『テントを立てられるか』
というのが絶対最低条件だったから、

よほど、
キャンプでの父の姿が

大きかったのだろうと
思う。

結局、
テントを立てられる夫と結婚し、

父がつくった会社を
引き継いでいる。

女性は
父親似の人と結婚すると

上手くいくというが、
私の判断基準は、

当たっていたと思っている。

記事一覧