日刊せみなりーBLOG

人間の無限の可能性を信じて

更新日:2017/07/22

『人間の能力は、限りないのだ!』
と言う考え方を、

初めて学んだのは、
いつだったかしら。

昔、
教師に憧れて、

教育関係の本を、
読み漁っていた時だったように思う。

青春の諸事情で
教師にはならず、

看護婦になった。
でも、もう一回、

この言葉と出会った。
それは、

その頃、
普及が始まった【リハビリ】と言う概念を

学んだ時だった。
勤めていた病院に、

リハビリ科ができた。
今では当たり前の概念で、

在宅介護の世界でも
デイサービスの世界でも、

リハビリテーションは普通にあるが、
40年前は、

新しい考え方だったのだ。
脳卒中で当たっても

(この当たるという言い方は、
北海道特有らしい)

リハビリが早ければ、
かなりの率で改善する。

また、
生まれながらに障害があっても、

リハビリを続けることで
能力は伸びる。

人の可能性を信じる素晴らしい考え方として、
看護婦だった私も、

燃えた。
今ほど分業が進んでいなかったので、

看護の中で、
日常的にリハビリは行われた。

今でも覚えているのは、
大学を卒業し就職したばかりの青年が、

湘南の海で溺れ、
一命は取り止めたものの、

全くの寝たきりで
食事も取れなかった。

言葉も発せず、
母親さえ、わからなかった。

東京の病院では、
これ以上できることはないと言われ、

母親はその青年を、
故郷札幌に飛行機で連れて帰った。

もちろん、
寝たまま。

私が働く病棟に入院し、
リハビリ科のベットが空くのを待った。

その間も、
リハビリの先生の指示に従って、

手足をベット上で動かしたが、
誰よりも、

そのお母さんが頑張った。
声をかけ、寝返りをさせ、

手を動かし
足をさすり、

ひと時も、
休むことなく続けられた。

もちろん、
泊まり込みだ。

私たち看護婦は
心を大きく動かされたが、

歩くことはもちろん、
自分で寝返りを打つことさえ、

不可能と思った。
それからしばらくして、

彼は寝たまま、
リハビリ科に移った。

それから、
どれくらいたってからだろうか。

私は、
お母さんと一緒に、

タクシーから降りる彼と出会った。
装具をつけて、杖を付いていたが、

自分の足で歩いていた。
お母さんは、

『元のエンジニアには戻れないけれど、
私は、もうこれで充分。』

と言って笑った。

人間って、すごい!と思った。
そして、

彼の回復は、
何よりも

お母さんの熱意の賜物だと、
思った。

【人間の無限の可能性を追求する。】
その時、

限りない愛情があれば、
不可能を可能にもできる。

教育もリハビリも、
そして、

会社の仲間作りも一緒だと思う。

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