日刊せみなりーBLOG

福島に故郷を思う

更新日:2017/08/29

日曜の夜、
24時間テレビの最後の方を

夫婦で見た。
福島の大熊町が出た。

ハリマオウN社長も私も
行ったところだ。

24時間テレビで取り上げられたように
中間貯蔵施設を作るための調査だった。

うちで調べたお宅ではないけれど、
所有者の方のお気持ちは、

とてもよくわかった。
うちの会社で調べた家の所有者の方々も、

きっと、
テレビに出られた方と

同じ気持ちではなかったかと、
思った。

福島の子供たちの歌声に
自然に涙が流れた。

ふるさとって、
何だろうと思った。

土地に生きるって、
何だろうと思った。

うちの仕事では
避けられない問題だ。

多くはないけれど、
ダム事業や、

結局、土地を離れて、
子どものところへ行く人など、

ふるさとを
離れざるを得ないこともある。

補償では、
精神的補償はないとされるが、

そこに関わる私たちは、
故郷への思いを

理解しなくてはならないと思う。

私は、
札幌生まれの札幌育ち。

看護学校の3年間を除き、
札幌を離れたことはない。

それも、
親の近くに住んでいる。

我が家の長女と次女は
愛知県、長野県で暮らすが、

夏と冬、
札幌に帰ってくるのが楽しみらしい。

親元に帰る以外にも
友人に会ったりといつも予定がいっぱいだ。

私の母は、
岡山出身。

90歳を超え、
岡山にいる姉は一人。

親しい友人も亡くなった。
それでも母は、

『岡山に帰りたい』
と言う。

私は、小樽でNPOを作った。
小樽の趣ある建物を活用し、

残し、
そして街を活性化するために。

その中で見えてきたのは
小樽の古い建物がもつ精神性だ。

小樽を一度離れた人が
小樽に戻り、

小樽の建物や運河を残したいと
昔から活動が盛んだ。

私は、そこに、
故郷がもつ【だいじなもの】を感じる。

そこで育った人でしかわからないもの、
その人を育てた何か。

小樽の場合、
私は、人間としての【だいじなもの】が、

その【まち】に見えるから、
多くの人が惹かれるのだと思うが。

ふるさとから離れたことがない私が、
ふるさとを語ることはできないけれど、

私を育てたのは
札幌という町で、

それも、
いつも藻岩山に抱かれ、

育った。
きっと、私には、

札幌と藻岩山、
そして、豊平川の気と心が

流れているんだろうな。
と、思う。

長女も次女も
それぞれに落ち着いた地には、

山がある。
まさに、

そこが『落ち着いた』からではないかと思う。

ふるさとは、
きっと、

一番自分をつくったところなのだ
と、思った。

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