日刊せみなりーBLOG

改めて補償について思うこと

更新日:2017/11/15

今日は、
当社のハリマオウN社長が支部長を務める、

日本補償コンサルタント協会北海道支部の
40周年記念式典の日だ。

ハリマオウN社長を始め、
シャイなO専務、

穏やかO常務、
そして、

今回感謝状を授与される、
親分肌のO顧問も参加する。

多分、
日本中で、

この仕事を知っている人は
ごく僅かだ。

自分の家が
移転対象になったと言う経験を

お持ちの方は
私の知り合いにも、

いないわけではないが
数名で、

それでもいるだけで
驚くと言うレベルだろう。

昔は、

治水工事などで
土地が必要になると、

『お上が工事をしてくださるのだ!』
と取り上げられるだけ、

と言う時代が長かったが、
戦後、民主国家となって、

この補償の概念が生まれた。
来月は、東京で、

日韓合同研修会があると言うから、
民主国家には、みな、

この概念があるらしい。
私が初めて補償を知ったのは、

父が起業したときだが
きちんと勉強をしたのは、

当社に入って
相談役の中川絃穂から教わった時だった。

その後、
東京で一週間の研修を受けたときは、

面白くて講義に釘付けになった。
看護婦からの転職だから、

天と地ほどの違いの
勉強だった。

例えば
高速道路を作るために

土地を国に売り、
家などを動かすなら、

個人の財産を
税金と言う国民の財産で買うのだから、

どちら側の
財産権も侵害されてはならないのだ。

ほほほほほ!
面白い!

そうか、
税金は国民の財産なのか!

の程度の
私だったのだ。

でも皆さん、
税金を国民の財産だと

感じたことはありますか?

まあ、それはさておき、
学べば学ぶほど面白い補償も

その移転対象となられた方々は
それはそれは、

一大事だ。
事によっては、

住む場所も変わる。
日本の補償理論がすごいと思うのは、

(世界も同じかも知れないが)
精神的補償はない事だ。

思い出に補償はないと言う事。
それだからこそ、

補償に関わる仕事をする人たちは、
その土地で、

生きてこられた、
補償を受けられる方々に、

心から敬意を評して、
その声に、

耳を傾けなければならないと

当社相談役の
中川絃穂は教えてくれた。

補償に限らず
全ての法律には、

義務や権利だけではない、
関わる人たちの

心の有り様が
大切なのかも知れない。

さて、
ただ今15日の3時を過ぎた、

式典が始まった頃だ。

ほとんどの国民が知らない補償だが、
土地などを提供してくださる権利者がいて

日本が
豊かな環境に変わることが出来たことを、

皆さんに知っていただく良い機会に
なればと思う。

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