日刊せみなりーBLOG

思い返すに。。。

更新日:2017/11/18

ふと、
自分の生い立ちを

振り返ることがある。
私は、大家族の中で育った。

両親、姉のほか、
祖父母、叔母たちが一緒に暮らした。

父は北海道庁の職員で
南23条の官舎に入っていた。

そこは、
いまでこそ、

札幌の中心部に近い住宅街だが、
私が生まれた頃は、

ホップ畑で、
祖母たちは、

『収穫時は、でめんさんに行った』そうだ。
それでも文化住宅の走りで、

7-8棟の官舎は、
建物の形も面積も全部違い、

土地も広かったと思う。
その中で、我が家は居間に和室が二つ、

狭すぎるため
父は屋根裏部屋を作った。

今なら、
官舎に、

自分で手を加えることは出来ないが、
戦後すぐなので許されたのだろう。

私がものごごろついた頃には、
同居している叔母は二人になっており、

気がつくと
その叔母たちも近くにアパートを

別に借りていたが、
父の影響か、

叔母たちの多くは
道庁に勤めた。

そして、
父のすぐ下の叔母は、

道職員と結婚したので、
まさに公務員家族だった。

私は、世の中は、
公務員でできていると思っていた。

高校に入り自分の将来を考えた時、
本当は女優になりたいと思った。

美人ではないから、

市原悦子みたいな
性格俳優が良かったが、

一人東京で、
バイトしながら暮らす勇気もなく、

かといって、
公務員は全く向いていないと思い、

すったもんだで、
デモシカ看護婦になった。

で、気がつくと、
父は公務員を辞めて、

起業をしていた。
叔母たちもそれぞれに自分の道を歩み、

公務員を続けていたのは、
当社の相談役中川絃穂だけだった。

私の身近な人生経験の中で、
【民間】は勤めていた病院だけだが、

どうも企業という言葉に
馴染めなかった。

育った環境は大きい。

父も叔母の中川も
公務員という職業に、

誇りをもっていたと思う。

国づくり街づくりに
一生懸命だった。

とかく
悪く言われることが多い公務員だが、

それは企業も一緒。
どういう思いで働くかで、

決まるんだろうなあ
と思う。

南23条の官舎は
随分前に壊されて今は、

道警の独身寮になっている。
広いと思った敷地も、

実際は、
そんなに大きくなかったようだ。

人生は面白い。
公務員の子として生まれ、

硬い仕事の看護婦になり、
企業経営なんて

考えたこともなかったのに、
今は、

会社経営の
末尾に付かせてもらっている。

お客様はお役所だ。
あーやっぱり、

お役所との縁なのだなあ、と、
官舎での生活を思い出している。

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