日刊せみなりーBLOG

おもうこと

更新日:2018/03/11

3月11日のブログは、
いつも、

困ったなあ。
と、思う。

もちろん、
6年前からだ。

7年前は、
この震災を知らずに書いているか、

規模を予測できずに書いているか、
どちらかだけど、

その夜から
日本中がテレビに釘ずけになり、

そして、
6年前の今日から、

ブログのテーマを
悩むようになった。

震災のことを書いた年もあり、
離れてみようと、

関係ないことを
書いた年もあったけれど、

心の中から
震災が離れたことはなかった。

私は、
ずっとひとりの鍼灸師の先生に

診ていただいているが、
彼女いわく、

震災直後から
患者さんの状態が変わったそうだ。

怒りに満ちている人と
悲しみに満ちている人。

きっと
日本中の人たちが

怒りか
悲しみの状態になっていったと、

思う。

今、当社では
福島の復興支援のお仕事をしており、

私も、
2年前に避難地域に行った。

震災直後のまま
全てが残されており

胸が痛んだ。
先日も、

福島で、
スーパーマーケットを経営する方の

お話を伺った。
すでに、

経営は順調に回復されておられたが、
色々な思いは、

拭い去れないのだと
感じたが、

その方が言われた北海道の役割が
興味深かった。

北海道は、
一番、地震で壊滅する可能性が低い場所。

だから、
頑張って欲しいと。

いざとなった時、
受け入れられる地域であって欲しい。

ということだと
理解した。

それは
経済も含めて

頑張って!
日本の砦なのだよ。


仰りたかったのではないかと思う。

昨日、
面白いことを聞いた。

津軽海峡の真ん中から
生物の生態系が変わるという。

なんたら線というらしいが
難しい言葉だった。

だから
熊も、月の輪熊ではなく、

ヒグマになる。
植物も変化するらしい。

だからこそ、
日本に大きな変化が現れた時、

北海道が救いになると言う。

ふーむ
と、考えた。

北海道が開拓された意味は
なんだったのだろうか。

先住民のアイヌの方々に
ご苦労をかけながらも、

ここまで切り開かれた意味は
なんだったのだろうか。

小学校から
北海道の歴史は学んできたけれど、

まったくもって
理解をしていない。

北海道は
その歴史も自然も

日本の中で異質である。

もっと深く学ぶべきではないか、
と、思ったりしているが、

今後のことは
改めて考えるとして、

安全な北海道に
移住して来られたみなさんを、

温かく迎える心は
無くしてはいけないと思った今日である。

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