日刊せみなりーBLOG

荘川桜

更新日:2018/03/12

うちの会社のお仕事は、
あまり知られていないお仕事で、

新卒採用はもとより
中途採用の説明でもかなり難しく、

私の短い説明で
一回で理解されることはまずないが、

京セラ名誉会長の稲盛和夫氏だけは、
すぐに理解してくださった。

なぜにそのような方と
お話をする機会があったかといえば、

それは
盛和塾という勉強会に

参加しているからなのだが、
今回は、

その補償の精神性が
盛和塾の機関誌に載っており、

嬉しくて嬉しくて
飛び上がってしまった。

その機関誌、
盛和塾93号には、

御母衣ダムをめぐる
7年にも及ぶ住民との角逐が

載っていた。

地元住民は
大局的な立場から

最終的に、
ダム建設を受け入れるのだが、

そこには、
当時の電源開発総裁の高碕氏の存在が

大きかったという。
高碕氏は、

地元民との交渉に際して
自ら膝を交え対話に努め、

書面でのやり取りも
肉筆で書き送り、

それは
故郷が水没する地元住民の嘆きを

痛いほど感じており、
だからこそ、

地元住民も
しだいにその誠実な人柄に

惹かれて行ったのだろうと
機関誌には書かれていた。

私の幼い記憶では
成田空港の反対運動など

公共施設の土地取得には
昔から地元の皆さんの反対があり、

今も
ダム建設では

様々な問題が発生しやすいけれど、
基本は、

土地で生きて来られた方々の思いを
どこまで真剣に受け止められるかに

かかっていると
私は、諸先輩たちから

教わった。
まさに、

それを身をもって
行った方がおられたことを

私はこの機関誌で
初めて知った。

高碕氏は
その後、

水没予定地にあった樹齢450年の桜の
移植を成功させる。

現在と仕組みが違うから
同じことはできないけれど、

思いをつなげる努力をする、
真摯な姿勢はなくしてはならないと

感じる。
この桜の移植は

日本一の桜学者笹部氏、
日本一の庭師丹羽棟梁の

人生をかけたとも言われる工事で
成功を収め、

岐阜県で荘川桜として
咲き誇っているという。

当社でも
ダムに関わる仕事をさせて貰ったり、

また
福島の仕事でもそうだが、

そこで暮らしている、
そこで暮らしていた、

方々の気持ちに
高碕氏のように寄り添うことが、

なによりも大切なのだと
学び直した気持ちだった。

土地を提供して頂いて
有難いという思い無くして

補償の仕事は
成立しないのだと

改めて思ったのだが、
自分がこの仕事に惹かれているのも、

そこが原点なのかも知れないとも
思う。

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