日刊せみなりーBLOG

言葉。ことば。コトバ。

更新日:2018/03/21

昨日、
面白い方言を知った。

富山県では
『ありがとう』を『気の毒なあ』

と言うそうだ。

最初は、
違和感を感じたが

その人が
『気の毒なあ』と

ちょっとなまって言うと
ありがとう、有難い、

と言う気持ちが
伝わって来るような気がした。

そういえば
大昔、祖母が、

『いやあ、そりゃあ
気の毒だったねえ』


言っていたような気がする。

それは、
有難い、

と言う意味も
込められて居たのではないだろうか。

祖母は
能登出身だった。

『気の毒だったわあ』
は、

迷惑をかけて
とか

時間をとらせてしまった
とか

申し訳ない
とか

そんな意味を込めて
有難いと言う気持ちを

表現したのでは
ないだろうかと思う。

一つの言葉が
昔の記憶を

呼び起こしてくれた。

気の毒だったねえ
のほかに、

『悪かったねえ』
も、言っていた気がする。

手間を取らせたことへの、
ありがとうだ。

答えは、
『いいやあ、なんも』

まるで
北の国からのセリフのようだが、

それは
やっぱり普通に使っていた。

先日読んだ本に
山形新幹線で、

トップの売り上げを上げていた
売り子さんの話があった。

売り上げの秘密は
色々あったけれど、

その中に
『言葉』があった。

綺麗な標準語だけが
良いわけではない。

時には
山形弁の方が

お客様にとっては
気持ちがよく心が開かれる場合もある。

と書いてあった。
それはよくわかる。

看護婦時代も
綺麗な言葉の方が

良い患者さんもいれば、
北海道弁丸出しで話した方が

良い患者さんもいた。
綺麗な言葉では

『あの看護婦さん、
なんか澄ましてるね』

と言われてしまう。

また、
方言でないと伝わらないことも

ある。

『あずましい』は、
その代表選手だ。

このあずましいが
あづましいなのか、

よくわからない。
亡くなった相談役の中川に

昔教わったが
忘れてしまった。

あずましい空間は
まさにあずましいのだ。

それ以外で表現をすることが
できない。

そう考えると
標準語って、寂しいなあ。

ありがとうございます。
いらっしゃいませ。


良いけれど、

『気の毒だったねえ』
『よぐきたなあ』

の方が
あったかい気がする。

年度末
仕事が立て込み

色々あって
10歩後退した残業削減。

今日も
出勤してくれたみんなに

気の毒だったなあ。
と言っても伝わらないので、

『ありがとうねえ』
と、声をかけた。

心を表現するのが言葉だから
大事に発しようと思っている。

記事一覧