日刊せみなりーBLOG

無意識に

更新日:2018/08/01

本日は、
気遣いU君と

室蘭日高の旅。
もちろん、

お仕事!で、
目標は多いに達成。

よかった!
が、

室蘭も浦河も、
信じられないほど

暑かった。
やれやれだが、

車内の
むつみさんと

気遣いU君は
元気印でおしゃべりだ。

あーだの
こーだの

話していたら、

元気に働く人には、
みな、

あーなりたい!
という人がいることに

気がついた。
そういえば、

わたしにもいた。
あれは、

看護婦になって2年目、
結婚して妊娠し、

私は配置転換になった。
小児科から内科だった。

また一から覚え直し。
その時は、まだ、

看護婦に燃えていない自分だったが、
その病棟で出会ったYさんは、

私にとって
神様のような看護婦さんに見えた。

私も
あんな風に仕事ができる日が

来るのだろうか?
とても、

信じられなかったが、
Yさんは、憧れの人だった。

私は、
その次の年、

長女を出産し、
その命の重みを感じた時から、

突然と、
看護婦に燃えるようになった。

と、
事あるごとに

話していたが、
今日、気遣いU君と話していて、

初めて
気がついた。

私は、
先輩看護婦Yさんを

尊敬と憧れの眼差しでみた時から、
無意識に、

看護婦の道に、
生きがいを見つけ出していたのだと。

ただ、
背中をぐいっと押したのは、

娘の出産だったのだ。

仕事を初めて、
その仕事に今ひとつ、

自分が燃えていないと
思う時、

もし、
すごいなあ、

この先輩。
自分もいつかこうなれるのだろうか?

と、
思える人がいれば、

必ず、
その人に、

近ずく事ができると、
思うのだ。

そして、
その仕事を

必ず、
好きになっていく。

人間は無意識に、
潜在意識の通りに動くそうだから。

残念ながら
私は道半ばで看護婦をやめたが、

看護婦をしていたことに
後悔はない。

Yさんのように
なれたか否かはわからないが、

好きじゃなかった看護婦を
大好きにはなっていた。

気遣いU君の目指したい先輩は、
ラガーマンM君だった。

残念ながら、
今は退職して、

うちで言うところの、
お客様になっている。

私は、
それで良いと思っている。

嬉しいことに、私にも、
『私は、中野さんを目指しています』

と言ってくれる、
看護婦時代の後輩がいる。

そして、
その後輩を慕う後輩がいる。

私は看護婦を辞めてしまったが、
私の看護婦として生きた時代は、

意味があったのだと
思っている。

気遣いU君、
次はあなたを慕う後輩が

できて来るんだよ。

人の繋がりが
人を育てているのだと

日高の長い道すがら考えていた。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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