日刊せみなりーBLOG

お盆に思う

更新日:2018/08/13

今日はお盆の入りだ。
送り火を焚く日。

うちの実家が神道のせいか、
北海道のせいか、

私は送り火を焚いたのは
一回だけだ。

それも、
岡山で。

細い木切れを積み重ねて
火をつける。

茄子やキュウリで
乗り物もつくる。

岡山の従兄弟が亡くなった次の年に
経験した送り火だ。

その年は、
そのまま京都に行き、

16日に大文字焼きを見た。

大文字焼きは、
本当に静かだった。

もっとお祭りを想像していた私は、
そりゃあそうだ、

と、納得した。
愛する人たちが、

帰って行くのだから。

我が家は、
夫が三男で私が次女、

神棚はあり、
ご先祖の御霊様は預かっているが、

夫の両親は
釧路の兄夫婦が護ってくれており、

我が家には写真だけだ。
それでも、

おりんをおいて
毎朝のご挨拶はしている。

お盆は多分、
夫の両親は釧路の兄の家に帰るのだろうが、

魂なので
いっぺんにあちこちに行けて、

うちにも
顔を出してくれている気がする。

と言うより、
お盆のみでなく、

みんな
いつも近くにいてくれる気がする。

仕事で釧路に行くと
時々、

義母が私の心にやってくるのか、
胸がほわっと、

温かくなる。
そして、じんわり泣けてくる。

あーお義母さんが来たのだ。
と、思う。

私は、
嫁らしい嫁ではなかった。

いつも忙しく動き回り、
夏休みに顔を出す程度。

筆不精で
手紙も書いたことがなかった。

義母は美しい字の人で
時折手紙をくれた。

それは
今でも取ってある。

字は不思議なもので、
義母が生きている気がする。

字といえば、
うちの父の字も

メモ程度だが
会社から出てきた。

これも捨てられない。

肉筆は、本当に不思議、
魂が宿っている気がする。

義父は達筆だったが
手紙は得意ではないようだった。

年賀状くらいしか
残っていない。

私を可愛がってくれた
叔母や叔父の写真も家に飾ってある。

叔母で当社の相談役だった中川には、
1ヶ月近く付き添いができた。

会社のみんなの
お陰だ。

私を、
自分の子供のように

可愛がってくれた叔父と叔母は、
看病をすることはなく逝ってしまった。

義母も急逝だった。

よく
ピンピンコロリと言うけれど、

私の理想は、
一週間寝込んで逝くこと。

その一週間で
会いたい人たちに会って、

お礼を言いたい。
幸せな時間をありがとう!と。

今のところ、
夫より私の方が残る予定だ。

お前百まで
わしゃ九九まで。

これが最高と思う。

先に逝った愛する人たちは
さぞや忙しいお盆を過ごしていることだろう。

あっちに行って
こっちに行って

そうだそうだ、
あそこも呼んでいた。

やっぱり
魂だから、

いっぺんにどこでもOK!かな。

なんとなく
仕事をしている私を

父が雨の向こうで
見てくれている気がした。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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