日刊せみなりーBLOG

父の命日に

更新日:2018/08/14

今日は、
父の命日だ。

で、
19日は義母の命日と、

続く。
亡くなったのは、

義母が一年早かった。

もう13年も経つのかと
思う。

入院中だった父に、
ついうっかり、

義母が亡くなった話をしてしまい、
父は声を出して泣いた。

義父母と両親は仲が良かった。

『むつみだったら、
本当にデリカシーがない』

と、姉に怒られた。

うん、そう思う。
それは看護婦時代からで、

よく、
『むっちゃーん!』

と言われた。
これは誰の遺伝だろうか?

父は、
あまり喋らないが、

余計なことも
言わない。

血は繋がっていないが、
義母は、

ものをはっきり言いすぎて、
時々ハレーションを起こしていたから、

夫は
母親と似たタイプの女性と

結婚をしたのかも知れない。

基本的に、
息子は母似の女性と、

娘は父親似の男性と
結婚すると言われているから、

夫のお兄さん達も
ものすごく、

はっきりした女性を選んでいる。
不思議だなあ。

夫と私の父に共通点があるかは
わからないが、

父は夫を
とても可愛がってくれた。

お酒もよく飲みに行った。

父が70歳の時、
父は会長になり、

姉が社長になり、
夫は副社長になった。

その前から、

父は夫を
補償コンサルタント協会の集まりに

連れていくようになり、
夫も少しずつ役員を仰せつかっていた。

私にはよくわからない世界であったが、
父の最期の言葉は、

『協会の集まりは大切にしろ』
と、

『芳には、
見栄を張っても良い格好をさせろ』

だったので、
この二つは、

遺言だと思って
守るようにはしている。

父は、
一年と四ヶ月ほど、

寝込んで亡くなったが、
自分が死んだら、

家族葬にすること。
葬儀が終わってから、

新聞の広告に出すこと、
などを遺言で残しており、

新聞広告の文面まで
書いてあった。

あんなに
協会を大事にしていたのに、

どうして家族葬なのか不思議だったが、
亡くなったのがお盆でもあり、

みなさんにご迷惑をかけずに
良かったのかも知れない。

私は時々、
愛する人を看取るために

看護婦になったのか?
と思うほどだが、

父の時も、
叔母叔父など、

みんなに連絡ができて、
父は多くの人に看取られて亡くなった。

病院が
寸前に大きな個室に移してくれたので、

本当にベッドを囲むように
みんなが父の周りに集まり、

さようならをした。
父らしい最後だった。

どうゆうわけか、
愛する人たちの葬儀は

あまり覚えていないものだ。

父が亡くなって
会社も色んなことがあったが、

どうにか
元気に仕事ができている。

ハリマオウN社長は、
協会の支部長を頑張っている。

父が、

天国から
応援してくれているのだなあ

と、思う。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

記事一覧