日刊せみなりーBLOG

小樽で学んだこと

更新日:2018/11/14

今日の道新小樽後志版に
旧花園病院の記事が出たと、

NPO法人小樽民家再生プロジェクト
の仲間から連絡があった。

このNPOは
小樽の古い建物を

利活用目的でマッチングさせて
小樽のまちづくりに寄与することを

事業としている。
旧花園病院と言う小樽の歴史的建物は、

大正時代に建てられ、
見るものの心を魅惑する。

空き家になっていて、
どうにかできないかと

相談を受け、
縁あってゲストハウス【リトルバレル】として

活用されることになったのだ。

私は小樽に関わり出して
多くのことを学んだが、

一番は、
マチって、

色々なものが絡まって
宝を作り出すのだなあ、

ということだ。
小樽の大きな宝は、

明治から現在までの建物が
混在してあること、

そして、
その多くが、

今も使われていること、
だと思う。

また、
小樽の地形も宝の価値を上げた。

南に山、北に港は、
訪れる人々の心を鎮める。

曲がった道や
色々な方向に伸びる坂道は

人々の
想像力を膨らませ

心を楽しくさせる。
そして、

小樽の歴史は
そこで暮らす人々の

心の在りように
大きな影響を与えた。

小樽は、
とても短い時間だったけれど、

日本有数の商業都市として栄え、
大金持ちを数多く輩出した。

マチは豊かで
労働者でも頑強な家を建てられたから、

今でも民家が残っている。
全国から人が集まり、

活気にあふれ、
坂が多かった故に、

行ける範囲に
必要な商店が全て揃ったから、

銭湯の数も多い。
雪が多い地方なのに、

家が隙間なく建ち、
冬になると屋根の雪は

みんなの雪になったから、
『雪は春になれば解けるから』

と言う、
独特の感覚が生まれた。

そして、
戦後、

瞬く間に、
勢いを札幌にとられた小樽は、

高度経済成長に取り残され、
古い建物は、

壊されることなく
残った。

小樽人の誇りは
札幌と融合することを嫌い、

独特の空気感を残したまま、
小樽の街は終わるのかと思いきや、

運河保存運動から
観光地へと生まれ変わり、

今、
マチに心を求める全国の方々の

移住先として
注目を浴びるようになった。

旧花園病院は
花園にあるのでこの名がついた。

古い下見板の家や
石蔵が近くにあり、

坂の下の踏切の姿、
遠くに見える海とも相まって、

独特の魅力を醸し出している。

お試し無料宿泊も
できるそうだ。

是非、行って見てほしい。
そして、マチで、

小樽の人たちと触れて欲しい。
小樽の風土と、

歴史の中で培われた小樽人気質。

それぞれのマチの宝は
きっと、そのマチの歴史と風土と

暮らした人々が
作り出していくものなのだなあ、

と、
学んでいる小樽のマチづくりである。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

記事一覧