日刊せみなりーBLOG

日本が無くしたもの?

更新日:2019/02/08

ハリマオウN社長こと夫と私は、
休みを貰って叔母の葬儀で岡山に来た。

会社のみんなには悪かったが、
世話になった母の実家、本家の叔母の葬儀だった。

ハリマオウN社長は
人の付き合いを大切にする。

それは、
自分の親類縁者だけでなく、

私の親類にも同様で、
岡山の親戚との付き合いも

私と一緒にしてくれるので、
岡山では、『芳さん〜』と、

結構人気が高い。

亡くなった叔母の葬儀は家族葬だったが、
孫ひ孫やしゃごと数えきれないほどの

子孫に囲まれて
それはそれは、

温かい葬儀だった。

仕来りは、
北海道とは違うところもあったが、

家族葬が主流になりつつあるのは
本州も同じようで、

叔母の葬儀場には、
ツインのベットルームから、

子供が遊べるような、
安全で楽しそうなロフトの部屋まであった。

すごいなあと驚いたのは、
その葬儀場ばかりではない。

叔母は、
生前に戒名を自分で作っており、

通夜にお坊さんを呼ばない、
いわゆるワンデイセレモニーだったが、

通夜には、
親族家族でお経をあげていた。

今日の葬儀には、
お坊さんと一緒に、

十数名の孫ひ孫やしゃごたちも
お経をあげていた。

口パクではないのだ。
お寺さんとのつながりの深さも感じた。

今回の葬儀の参列は、
94歳の母の代理の役目もあった。

3月で89歳になる母の妹は、
『9人いた兄弟姉妹が二人になった』

と、
泣いていた。

従兄弟たちに
亡くなった叔母の半生を聞きながら、

叔母の一生を思った。
母もそうだけれど、

戦争を間に挟み、
本当に私なんかは想像もできないほどの

苦労をくぐり抜け、
夫に仕え、子どもを育て、

家を守りながら
自らの使命を全うして生きてきた世代なのだと、

心から感謝と尊敬の念がわいた。

今の豊かさは
戦前戦中を生き抜いてきた先人たちが

基礎を気づいてくれたのだ。
それを子孫に伝えていくのが、

もしかして、
葬儀の意味なのではないかしら。

と、
私に教えてくれた家族葬だった。

叔母の葬儀の喪主は
長男の嫁だった。

長男が16年前に先立ち、
叔母はお嫁さんと暮らしていた。

そのお嫁さんTさんは
本当に素敵な人で

今回、

ハリマオウN社長が
葬儀に来たいと思ったのも、

Tさんにお礼を
言いたかったからだ。

築100年以上に家で
結婚した時から同居したTさん、

同居には色々なことがあっただろうが、
叔母の最後も、

葬儀もその全てが、
自分の使命を全うした叔母と

嫁としてというより、
人としての優しさで姑を支えたTさんへの、

賛歌であった。
日本が無くしてしまったものを、

再発見したような葬儀に参列できたことに
感謝である。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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