日刊せみなりーBLOG

超さむい!中で

更新日:2019/02/10

テレビで、
陸別は日本一星が綺麗に見えるからと

移住してきた方を
紹介していた。

寒いので星が綺麗らしい。

陸別の1月の平均気温は、
マイナス10度だと言っていた。

平均だから、
もっと寒い日もあるということだ。

すごいなあと思う。
なにがって、

そこに
開拓に入った人たちがだ。

どうやって、
あなたはあっち、あなたはこっち、

と、
振り分けて、

北海道の開拓に入ったのだろうか。
昔は、

電話もなかった。
電報だって、

明治の初めはなかっただろう。

開拓だって、
電動ノコギリもなく、

斧で木を倒し
根っこはスコップで抜いたのかしら。

運ぶのだって馬車だ。

なにが大変だって、
家と服。

庶民が
綿の着物を着られるようになったのは、

小樽にニシンが取れて
それで肥料を作り、

日本でも綿が、
取れるようになったからだと聞いた。

なら、
北海道に開拓に最初に入った人たちは、

麻の着物を
着ていたのだろうか。

私は札幌生まれの札幌育ちで、
小学校では北海道の歴史を習ったような気がする。

が、
開拓の人たちが

どんな生活をして暮らしていたかは
習わなかったような気がする。

私が子供の頃は、
断熱材なんて入っていないうちに住んでいた。

冬になると、
玄関の花器の水は凍ったし、

ぼっとんトイレには、
糞注が立った。

それでも
毛糸の服も着たし、

今ほどではないにしろ、
ジャンパーもあった。

それでも寒くて
石炭ストーブをボンボン焚いたのだ。

そういえば、
石炭ストーブには湯沸かし器が付いていた。

うちのは、
煙突についていて、

夜はそのお湯で
湯たんぽを作り、

朝はそのお湯で
顔を洗った。

今のように
蛇口をひねるとお湯が出る、

あ、いや、
今は、

手を出すだけで
お湯が出る洗面所もある。

もし、
タイムマシーンで開拓者が現代に来たら、

一体なんと言うだろうか。
目をまん丸にするだろうな。

石炭ストーブもなく、
まるで本州のように囲炉裏を切り、

板一枚の家に住み、
極寒の中で、

北海道を開拓してくれた先人たちに
感謝だ。

が、
もしかしたら、

先人たちも
星を見て、

その美しさに
心を奪われていたのかも知れない。

厳しい自然の苦しさばかり感じていたら、
開拓は成功しなかったような気がする。

クラーク先生が来る前から、
開拓者はボーイズビーアンビシャス!

と、
言っていたのではなかろうか。

道産子の前向きさは、
この自然が作り上げたものであることは、

間違いない!と、
床暖で暖まりながら、

これを書いている。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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