日刊せみなりーBLOG

釧路にて

更新日:2019/03/25

今日は
日帰り釧路。

一本気Oさんの運転で
私は助手席だ。

高速道路が伸びたとはいえ、
中々遠いけれど、

あーだの
コーダの

話すうちに
昼頃、釧路に着いた。

数日前の大雪が嘘のように
釧路の空は晴れ渡っていた。

検定という打ち合わせは
1時半からなのだが、

大切な打ち合わせなので、
昼食は終了後の予定だ。

なので、
セブンイレブンで

ゆっくり時間を潰す。

数日前の雪が
所々に残っているが、

今日の釧路は6度と
暖かい。

うちの会社に入ってから
釧路日帰りは普通になった。

今年度、
何回釧路を訪れただろうか。

夫の故郷で
義父母が眠っているが、

毎回、
お寺に寄らずに帰る。

許してね。

なにせ、
朝早く出て

打ち合わせを終え、
昼ごはんを食べて札幌に向かうと

着くのは夜になる。
運転してくれる社員に悪くて、

お寺によってくれとは
言いにくいのだ。

私は嫁の立場だが
夫の両親が大好きだった。

ハキハキして
明るくて心がまっすぐな義母と、

温かくて
いつも笑っている義父、

二人はいつも一緒だった。
汽車で釧路に来ると、

二人は、
いつも並んでホームに立っていた。

向かって左側が義父で
右が義母。

今でも
その姿が焼き付いている。

年に数度遊びに来ると
夜半まで

4人でおしゃべりをした。

義母は
急死だった。

連絡を受け駆けつけた時
義母はすでに冷たくなっていた。

お姑さんなのに
実の親のように悲しかった。

娘たちも
大泣きだった。

それから4年後
義父が逝った。

義父の最後は
夫と共に見送ることができた。

とても悲しかったけれど、
見送ることができたのは

良かったと思う。

一人で釧路に出張の時は
汽車の時間があるので

お寺に行く。
海が見える高台にあるお寺だ。

納骨堂からも
海が見える。

お線香をあげて
しばらく手を合わせていると

涙が溢れてくる。
できの良くない嫁で

親孝行どころか、
息子を取ってしまったようで

いつも
申し訳ない気がしていた。

義父母から教わったことは
数多くあるが、

中でも
記憶に残っているのは、

義父の息子を信じる姿だ。

『どんな苦難があっても、
芳なら乗り切る』

と、
義父は笑って言っていたっけ。

血が繋がっていない関係だけど、
釧路の空を見ていると、

ふと
心がフワーと温かくなる。

あ、義母が帰ってきた。
そんな気がする。

夫に言うと、
一度もそんな気がしたことはないそうだ。

気のせいだろう。
と、言われたけれど、

釧路に帰ると
時々、義父母は逢いに来てくれると

やっぱり思う。

釧路の空は青かったけれど
風はまだまだ冷たかった。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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