日刊せみなりーBLOG

札幌今昔物語?

更新日:2019/03/27

一本気Oさんと健やかS君と
3人で、

今日は網走日帰りドライブ。

重要な出張だが
当たり前にドライブ時間が長い。

ので、
朝から元気にモチベーションアップ。

で喋り始めたが、
なぜか話題は

昔の札幌のことになった。
一本気Oさんが、

『自分は、厚別区や手稲区が
できる前に札幌から出ました』

と言うので、

『私は、区制ができる前から
札幌よ』

と言ったら、
意外にも、

一本気Oさんまでも、
えええええ!!!!

と。
なんで?

あら、お二人とも、
区制がない時代を知らないの?

まあ、
健やかS君は知らないでしょうね。

でも、
一本気Oさんまでも知らない?

そっちの方がびっくりだ。
一体、札幌が政令指定都市に

なったのはいつなのかしら?

私が生まれた時の住所は、
札幌市南23条西9丁目

番地は忘れちゃったけれど、
この住所は忘れない。

丸井さんは4階建てで、
屋上に小さな遊園地があった。

父が、

『南23条と丸井さんの屋上は
同じ海抜なんだよ。』

と、
言っていたのを覚えている。

官舎の前の道は砂利道で
馬車の馬糞が落ちていて

春の風は馬糞風と
言われていた。

官舎の隣はポッブ畑で、
祖父母叔母たちは

よく
『でめんさん、に行っていた』

そうだ。
と、話したら、

一本気Oさんが
『でめんさん、ってなんですか?』

と聞いた。
あら、うーん、バイトみたいなものよ。

でも、
なんででめんさんと言うのかしら。

そして、
ある日、そのポップ畑に

啓北商業高校が建った。
その光景を覚えているのは、

大工さんが私のために
木っ端でお人形さんのベットを

作ってくれたからだ。
今思えば、

随分ゆったりした話だ。

啓北商業高校の向こう側は
石山通で、

その頃は
そこに信号はなかった。

私は、
石山通を渡った先の光幼稚園に

通っており、
石山通を渡ることが何よりも怖かった。

ついこのあいだまで
その恐怖心は生きていて、

どんな道路を渡るのも
怖かった。

が、
おかげさまで、

今は
危ないくらい平気で道路を渡るのは、

歳のせいかしら。

ちなみに
今の南23条は、

中央区。
啓北商業高校は石山に移転し、

その辺りは
モデルハウスと消防署になっている。

時代の変化は
早いのか遅いのか、

よくわからない。

車は
高速道路に乗り、

雪の空知を過ぎ
吹雪の上川に入った。

運転は、
健やかS君に替わった。

健やかS君は
私の昔の話を、

【昔話】のように聞いていた。

そうなんだよね。
昔話だね。

でも、
チンチン電車は

未だに走っていて
角の果物屋さんも健在だ。

私にとっては、
区制が引かれても、

札幌は一つの気がする。

札幌に生まれ育って64年。
世界に誇れる大好きなマチである。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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