日刊せみなりーBLOG

中野主任さん

更新日:2019/06/14

今時は便利だ。

出先で、
会社に来ているメールを見られる。

どれどれ
と開けたら、

中野主任さん、
解散式の出席メンバーです。

という文字が
飛び込んできた。

大昔
働いていた職場の女医さんからだ。

私はそこに2年しかいなかったが、
仲の良い職場で私は主任さんだった。

何年に一回か
気がついたように、

当時働いていた仲間が
集まっていたが、

今回、
N先生も完全定年になるので、

解散式という名目で
集まろうとなったのだ。

看護婦のみならず、
お医者さんと仲良しだったというのは、

珍しいことだと
思う。

私が32歳の時だから、
30年も昔の事だった。

その病棟は出来たばかりで
若い未熟な看護婦さんと

未熟な主任、
そして、頼り甲斐のある婦長。

と言う集団だったが、
みんな一生懸命で、

私は
スタッフが可愛くて

仕方がなかった。
多分、

私の中で
人を育てることの

基本を学んだ病棟だったと
思う。

ほとんどが新卒か
それに近いような看護婦で

何、それも知らないの?
と、

驚くことが多かったのだが、
呆れることはなく、

どうやったら
みんなが育って、

患者さんに良い看護ができるか、
そればかりを考えて、

実践していたように
思う。

心から楽しかった。

その後、
私は看護婦を辞めたが、

多くの人たちは
そのまま看護婦を続け、

婦長になった人たちもいる。
未熟なままで終わる人なんて、

いないのだ。

人は、
自分が大事に思われているか、

大切に愛されているか、
目をかけられているか、

敏感に感じるものだと思う。

たった2年間だったけれど、
それぞれのスタッフに、

それぞれの人生があった。
良い医療をしたいと思う医師と看護婦、

思うだけで、
実力が伴っていないのだから、

課題も問題も
溢れていたが、

本当に楽しかった。

多分、
太っ腹な婦長が

私にスタッフ指導を任せてくれて、
婦長が私を思ってくれていたから、

病棟作りがうまくいったのだと
思う。

今のうちの職場も、
当時のその病棟とよく似ていると

感じる。
違うのは、

私の年齢だ。
若い時のような体力はない。

でも、
それはそれで、

うまくいくようだ。

働くことは、
素晴らしいことだから、

人生の三分の一は
職場なのだから、

元気に楽しく
働き甲斐がある職場にしたいものだが、

それにしても
久しぶりに会う昔に仲間たちは、

私のことがわかるだろうか。
当時の私の、

看護婦姿の写真を見た社員が、
『面影がありますね』

と、
言っていた。

まあ、話し出したら、
わかるよね。

長く生きると
楽しい思い出と良い仲間が増えていく。

人生は、
やっぱり楽しいなあ。

と、思う。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役中野むつみでした。

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