日刊せみなりーBLOG

時を経て

更新日:2019/09/17

昔、
看護婦になりたての頃、

直属の婦長さんに言われたのは、
『元気だけ良い子』

いやあ、
それはないんじゃない?

と、思うけれど、
まんざら間違ってもいなかった。

なぜなら、
看護婦になりたくてなったわけではなく、

成り行きでなったから。
看護学生時代も、

試験の成績はトップだったけれど、
実習では、

評価が低かった。
当たり前に、

患者さんを目の前にすると、
心が出るから、

やる気なしが丸見え。
看護計画も表面的になりやすい。

そんな私なのに、
ただ一つ、

看護学生時代で誇れるコトがある。
それは、

なんと!
補習で行った産科実習で、

担当した産婦さんが、
生まれてきた女の子に、

私の名前、
【むつみ】をつけてくれたことだ。

だいたいが、
なんで補習実習になったのか、

多分、
体調が優れず休む日があって、

実習日数が足りなかったのだと
思う。

計算して休むと言う頭もなく、
『卒業できませんよ!』

と、
教務と呼ばれる先生に怒られ、

卒業間近に
一人で産科実習をした。

その内容は、
特別に目新しいことはなく、

私らしい看護だったと思う。

だから、
その受け持ったお母さんに、

『むつみってつけるわ。
あなたのように、

優しい人になって貰いたいから』
と言われた時は正直、戸惑ったが、

素直にありがとうございます。
と言った。

看護婦になり、
心がどうしても燃えなかった時も、

その時のことを思い出し、
とにかく、

看護婦を続けようと
思ったが、

社会人2年目に結婚し、
娘ができた途端、

命の大切さに目覚め、
産休明けと同時に、

めちゃくちゃ
燃える看護婦に変身した。

産休前と産後、
一緒に働いていた後輩の看護婦は、

『とても同一人物とは思えなかった』
と言うくらい、

私は変わったようだった。

私は、
28歳の時、

看護学校の先生になれる研修を
半年間受けた。

その時、
看護は愛なのだなあ。

と、
実感した。

多分、
そこに行き着くまでに、

補習と言う産科実習で
自分の名前を、

赤ちゃんに
つけてくれたお母さんに出会えたこと、

自分自身が3人の娘たちを
授かったこと、

など、
命を感じる経験ができたコトが

大きいと思う。
そして、

そんな大きな経験をして
看護婦に燃えていたのに、

体を壊して、
一時休止のつもりが、

結局、
看護婦に戻らず、

今に至る。
なのだ。

人生は面白い。

でも、
その自分の経験から、

何がきっかけで
仕事に燃え出すかはわからないコト、

そして、
それさえ、永遠ではないのだ。

を、学んだ気がする。

ただし、
仕事が変わっても、

働くことの
本質は変わらないのだ。

とも、学んだ。

あの補習実習の時に生まれた女の子は、
今42歳になっているはずだ。

そのむつみさんに恥じないように
生きたいなあ。と思っている。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役中野むつみでした。

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