日刊せみなりーBLOG

今更だけど

更新日:2019/10/14

三連休、
社員全員が全面休みは厳しくて、

出勤者数名。
うーん。ごめんよー

今頃になって、
我が身の子育て時代を

振り返っている。
私は、自分で稼ぐことに意義を見つけていた。

女性は自分で稼ぐことで、
自立できると頑なに思っていた。

ほんと、頑なに。
そのくらい、

稼げない女性の地位は低かった。
でも、稼いでも、

別に女性の地位が
上がったわけではなかった。

看護婦になったのも、
手に職!意識があったと思う。

子どもができても働いた。
産休は、産後6週間時代に長女を生み、

次女からは、
8週間になったけれど、

中々きつかった。
それでも、

仕事も面白く、
保育園のお迎えは、

うちの父に頼むことも
多かった。

夫との喧嘩は、
保育園のお迎えや家事分担にこと、

私の夢は、
思いっきり残業ができること、

だった。
だから、

子どもたちが少し大きくなると、
私の母に娘たちを預けて、

残業をしたいだけした。
ら、体を壊した。

看護婦を辞め、
失業保険をもらい、

体を休めたが、
保険が切れるとすぐに、

うちの会社でパートをした。
ちょっとの手伝いのつもりが、

本職になり、
忙しかったから、

残業残業また残業。
現場も行ったし、

入札出張もした。
結婚して一度も扶養者になったことは、

なかった。
それが私の自慢でもあった。

でも、
世の中も変わった。

そして、
私も変わった。

金銭的自立は大事だけれど、
本当の自立はそれだけではない。

ことにも気がついた。
人間の尊厳は、

稼げるか否かでは
決まらないのだから。

私は昨日、
ふと気がついた。

うちの娘たちが
小さい頃、

稀に見るほど落ち着きがなく、
一時もじっとしていられなかったのは、

母親である私が
いつもいなかったからだと。

おばあちゃんやおじいちゃんが
いてもダメなのだ。

夜も休みも
研修会やらなんやらと

出かけていたから。
そして、

その娘たちが良い子に育ったのは、
私が看護婦を辞め、

家で静養し、
空き時間でPTAに取り組み、

ご飯も作るように
なったからだ。

と言っても、
会社に勤めて残業は始まったけれど、

家が近くて
娘たちは会社に顔を出すことができた。

私は、
自分の病気で人生が救われたのだ。

子どもがちゃんと育ったのは、
病気によって人生を変えたからだ。

仕事は面白い。
やり出したら止まらないほど。

でも、
子どもたちとの時間も

楽しいのだ。

男性の土俵の上で
稼がねば!と気負っていた時は、

それに気がつかなかった。
まだまだ、残業を減らせず、

社員たちには申し訳ないが、
家族揃ってご飯を食べるほど、

幸せなことはないから、
やっぱり、

全ての職種で
働き方改革を諦めずに進めなければ、

と、思っている。

お節介の達人
マチづくりご相談承り役 中野むつみでした。

記事一覧